好きなこと、やりたいことがないと焦るあなたへ。私が料理をはじめた日の話

こんにちは。みどりやで~。

「やりたいこと/好きなこと/熱中できることがないんだけど、どうすればいい?」と時々相談をうける。

この記事は、その相談への私からの返答だよ。

今、熱中するものがなくて焦っている人に、焦らなくても出会えるよってことが伝わればいいな。

じゃ~、いってみよ~。

「やりたいことがない(けどほしい)」に対する、私の考え方

どうすればいいかと尋ねられたときの、私の答えは「放っておけばいい」。

やりたいことがなくても死なないから、まぁ慌てなさんな。

そんな~って言われそうだから、続けると。

「目に入ってきたものをやってみたらいいよ」

あのね、好きなことや夢中になるものってどこからやってくるかわからないんだよ。

だから、とにかくやってみる。

まずやってみるの精神ね。

やってみれば、少なくとも、それが好きか嫌いかはわかるからさ。

私は今、料理が楽しい。

だけど、子どものころから好きで包丁握ってたんじゃないのよ。

その逆で、私は料理への関心は全然なかった。

▼ままごと用ではなく大人の使う包丁が好きな娘(4歳2か月)

そんな私がなぜ料理を好きになったのか。

ここから、私が料理をはじめ、好きになるまでの話をするね。

長文を読み流したい人は、最終章の「焦らなくていい、いつか出会える」へどうぞ。

【小学~中学時代】食べ物に興味をもつも、料理はしたことがなかった

小学生のころは、まったく料理に興味はなかった。

母の料理の手伝いもほとんどしてない。

ホットケーキミックスを混ぜたり、調理実習でサンドイッチを作ったりする程度。

ほかには、小学5年生のときに、友達の家ではじめてバレンタインチョコを作ったなぁ。

中学生で食そのものに興味をもった。

貧血になったからだ。

貧血予防の食事を調べて、母に頼んでいたなぁ。

レバーの甘辛煮、ひじきの煮物、レバー、ホウレンソウのお浸し、レバー、レバー、レバー…。

30年分のレバーを中学の3年間で食べたと思う。

が、部活を一生懸命やっていたこともあり、自分で料理をするには至らなかった。

【高1】はじめて一人でお菓子を作って大失敗

高1のとき、クラスで一緒にお弁当を食べていたメンバーがいた。

メンバーは4人。

そのなかに1人、お菓子づくりの好きな女の子がいた。

彼女は、家でお菓子を作っては持ってきてくれた。

そういう年頃なのか、同じクラスのほかの女の子たちも時々お菓子をもってきた。

どれもおいしかった。

私は、私もお菓子を作ってお返ししたいと思うようになった。

意気込んだ私は、お菓子の本を買った。

non-noの別冊、「はじめてのベストケーキ」という本だ。

写真がおいしそうだったブラウニーを作ることにした。

あのときの自分に伝えたい。

「無謀だろ」

そして…。

めちゃくちゃ硬い、炭のようなブラウニーができた。

大大大失敗だった。

さすがに凹んだ。

せっかく作ったし…と持っていったら、友達は食べてくれた。

絶対においしくなかったはずなのに、おいしいとも言ってくれた。

友よ、ありがとう。

私は、かえって気を使わせてしまったと落胆。

二度と作るもんかと思った。

【高1】突如、料理を作らねばならなくなった

いよいよ転機がやってくる。

ブラウニーに懲りて台所から遠ざかっていたのに、突然その日はやってきた。

弁当箱すら出さない、困った子

高校でも私は陸上部に所属し、相変わらず貧血気味だった。

この体調と全力を出し切る性質のおかげで、私は家では伸し餅のようにデレーンとしていた。

玄関を入った途端、スイッチがオフになるのだ。

母はプリプリしていた。

制服を着替えなさい。

弁当箱を出しなさい。

お風呂に入りなさい。

(居間ではなく)二階にあがって寝なさい。

そりゃ言うわな~。

やってもらわないと困るもん、特に弁当箱。

でも、もうエネルギーないねん。どうにもできへんねん。バタッ。

母に匙を投げられる

あれはたしか、おばあちゃんの部屋だった。

晩ごはんを食べ終えて、祖母とテレビを見つつ、うとうととしていた。

母の声が台所から聞こえた。

「みどり~、お弁当箱~(だして~)」

私は返事したのかしなかったのか、また寝た。

母から、何度かお弁当箱を出せと催促されたような気がする。

それでも出さなかったので、母は私が寝ているところまでズンズンズンとやってきた。

本当に、足音が聞こえていた。

障子をあけるや、母。

「アンタ!いい加減にしぃ!弁当箱は???」

「フニャフニャフニャ…(カバンの中にあるからとって…と言ったようなかすかな記憶)」

「自分で取りなさい!」

「フャー…」(←あかんやつ)

ついに母の堪忍袋の緒が切れた。

「知らんわっ。アンタ、明日から自分で弁当作りよ!」

母は台所へと踵を返し、私は寝た。

翌日、朝起きた私は腹をくくっていた。

「弁当を作らなくては」

好きでもない料理をはじめてみたら

かくして、私は自分で弁当を作り始めた。

母はああは言ったものの、自分で弁当を作るつもりだったのかもしれない。

しかし、私は「もう作ってはもらえない」と思っていた。

自業自得だ。

仕方ない。

見よう見まねで作り始める

私は台所にたった。

といっても、作れるわけがない。

料理なぞ、したことがないのだ。

とてもお弁当が作れるとは思えないが、やっぱり私が悪い。

腹切りのかわりに弁当を作ると思えば、易いもんだ。(なぜか心は侍)

母は、「面倒なことになった」と思ったかもしれない。

朝の忙しい時間に料理のできないやつが台所にいるのだ。

大迷惑。

でも、母は何も言わなかった。

最初は、母が作っている朝ごはんの残りを弁当箱につめるだけ。

つまり「詰める係」だ。

そのうち、ウィンナーを炒めたり、ブロッコリーを茹でたりするようになった。

思いがけず、弁当作りにハマる

弁当作りを続けるモチベーションになったものが、2つあった。

一つは、陸上部のS先輩(双子)が、毎日お弁当を作っていたこと。

二人とも色白の涼やか美人。

そして、走るのも早い、あこがれの先輩だ。

私もお弁当が作れるようになったら憧れのS先輩に近づけるかも♪

この気持ちが大きな励みになっていた。

そしてもう一つは、自分の好きな料理をお昼に食べられることだった。

食べたいものがあれば、前日に母に材料購入を頼めばいい。

我が家は祖父母と同居しており、家では和食の家庭料理ばかり食べていた。

今となっては心安らぐ味だが、当時は「またこれかぁ」と思っていた。

煮物と、おひたしと、やらわかいごはん。

時々、母ががんばって子どもたちの好きな料理も並べてくれた。

コロッケとかね!

おいしかった。

そう! こういうのを! お昼ご飯に! 食べられるのだ!

自分で弁当箱に詰めさえすれば。

最高じゃないか。

創意工夫が楽しい

自分が食べたいものを食べるために、私はどんどん工夫した。

主婦雑誌別冊のお弁当の本も買った。

今まで食べたことのないアイデアおかずに、詰め方のコツ、冷めてもおいしいおかずなど。

楽しすぎた。

こうなれば、もっといろいろ試したくなる。

ランチメンバーのお母さまに頼んで、おかずのレシピを教えてもらったりもした。

翌年には、妹と弟の分の弁当も作るようになった。

今度は、妹や弟の好きなおかずなども考える。

弟に、「恥ずかしいからプチトマトとかブロッコリーとかいらん。肉がいっぱい入ってる、茶色い弁当でええ」と言われたのも良き思い出。

焦らなくていい、いつか出会える

こうして、半ば強制的にはじまった弁当作りは、本格的に受験勉強を開始するまで続いた。

その後、仕事で料理をする機会にも恵まれた。

もがき苦しんだこともあるけど、飽き性な私がずっと食に携わってきたなんて不思議だ。

何を好きになるかなんて、誰にもわからない。

いつ大好きなものと出会えるかも、わからない。

好きだと思っていたものを大嫌いになることも、その逆もあるだろう。

だからね。

今好きなものがなくてもいいんだよ。

何も焦らなくていいし、誰とも比較しなくていい。

それでも何か大好きなことにトコトン熱中する人生を送りたいなら、そう願うといい。

心配しなくても、神様がちゃんと用意してくれているよ。

そのうえで、目の前のことを一つ一つやってみる。

いいなと思うなら歩みを進めればいいし、合わないやと思ったらやめたらいい。

自分の感性を大切にね。

とにかく。

なんでもやってみて、今「いい!」と思ったら迷わずつっこめ。

それだけ。

シンプルだよ。

大丈夫。

(みどり)

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