地震後の、とっくに世間の注目が薄れてしまってからの、母と子のリアル

パギー(おはよう)、みどりやで。

一昨日3月17日、東ロンボクのエリアを震源に二度の地震があった。いずれもマグニチュード5を超え、死傷者や家屋倒壊が報じられた。

去年の7月29日以降度重なる地震がやっとなくなってきたと思っていた矢先の地震で、やるせない気持ちでいっぱいだ。

しかし今回は、一昨日の地震に関する記事ではない。

娘と娘と同じ幼稚園の園児たち、そのお母さんたちをとおして私が感じ取った震災後のリアルについて書きたいと思う。ごくごく小さな範囲の、どちらかというと家庭内で起こることのほんの一部を切り取ったものだが、こういう事が起こりえるのかと知ってもらえたら嬉しい。

▲1週間前の幼稚園。友達と遊ぶのは楽しいけれど、親においていかれたくはない。

ここにいる5人のうち親が預けているのは1人だけ。

あとはみな幼稚園が終わるまで親が園庭で待っている

今年(2019年)の2月、すでに震災から半年がたっていたが、幼稚園で一人の女の子が癇癪を起こして泣きわめいた。

お母さんと離れたくないらしい。

母親が「もう!いい加減にしなさい!もう知らない!」とでも言うように(実際には大きな声ではなかったのでなんといっているのか聞き取れなかった)、子どもを引きずってほかの子どもたちがいる教室まで連れて行った。

寄ってくる子を叩き、最後には泣く子を教室に突き倒して、母親だけが教室から出てきた。

その子はもっている力を振り絞れるだけ振り絞り、全身で悲しみと怒りを表現していたが、母親が戻ってくることはなかった。

しばらくして泣き声が小さくなったので教室をのぞくと、先生に抱っこされていた。

まだ泣いていたが先程よりは落ち着いたように見えた。

子どもだけでなくお母さんの気持ちを想像してもいたたまれないので、私はそのお母さんを探した。

教室からは見えない、大きな木陰の下に後ろ向きに座っている。

彼女のところへいって声をかけた。

「どう?娘ちゃん、お母さんのそばがいいって?」

「そうなのよ」

お母さんはまだ子どもに対しての怒りが収まらず少し興奮気味だった。

が、私が相手なのでその気持ちを抑えながら「もうずっとこうなの」とため息をついた。

子どもが家でも自分のもとから離れない。

地震の前は幼稚園に預けても大丈夫だったし、帰宅後は近所の子供たちだけで遊んでいた。

親が見えなくてもなんともなかったのに。

今は私がトイレにいくだけでも姿が見えないと泣くのよ。

▲幼稚園の先生たちは工夫していろいろな遊びを取り入れてくれているのだが…。

これはジョグジャカルタから大学生が調査兼ヒーリングに来た日。

「うちも同じよ」と私は答えた。

地震の瞬間、私は娘の近くにいなかった。

私は義母と夫に娘を預けて市街地へ行っていたのだ。

娘に会えたのは翌日。地震から15時間以上がたっていた。

だから、娘は私がいないと不安で仕方がないみたい。

そう話すと、彼女も地震当時の状況を教えてくれた。

「うちはね、あのとき子どもはもう寝室のベッドで寝かけていたのよ。私達夫婦はテラスにいて他愛ない話をしてたの」

「うん」

「地震のとき、すぐに停電になったでしょ? 娘は停電の真っ暗ななか家が壊れるあいだ、ベッドの上で一人でいたの。幸い、ベッドの上には何も落ちてこなくて彼女は無事だったし、私達もすぐに彼女のもとへ駆け寄ったのよ」

「うん」

「でも、地震の瞬間は一緒じゃなかったから…。とても怖かったんだろうね」

「そうだったの…」

「それからよ。もう、ずっとずっと私と一緒なの。」

「ご主人は?」

「夫じゃダメなの、私じゃないと。料理しててもそばにいるしね。火があるから危ないのに私が目に見えて手を伸ばしたら触れられるところにいないとダメなの」

「そう。私のところも同じよ。わかるわ」

「だから私、なんにもできないの。娘につきっきりで」

母親のフラストレーションはよくわかった。

本当に子どもがベッタリなので見事に何もできないのである。

私が長らくブログ記事を更新できなかったのも、義母の心身の不調とほとんど娘にかかりっきりだったからだ。

ブログを書くために私がパソコンに向かっていて、横で娘が遊んでいることは以前はなんてことはなかった。娘は一人で友達の家に遊びにいって、そこで過ごすこともしていた。

でも、地震後はそれができなくなってしまったのだ。

▲2018年12月、大雨が降った翌日。全園児140名弱のうち登園したのは30名ほど。

テント暮らしの人々は雨の日はダメージが大きく、子の幼稚園どころではない。

地震後半年たった今も100名前後しか登園していない。

だからといって子どもを無理やり引き剥がすこともできないことは、私達も承知している。

この子たちの傷をどうにかして癒やさないといけない。

そして、その一番大きな助けになるのは紛れもなく自分自身ー母親ーであることは直感的にわかっていた。

でも、自分のしていることが何もかも分断されるのは思っている以上にストレスだ。

育児経験のある方は、親が小さな子どもたちの都合に振り回されるのをよくご存知だと思う。

それがやっと少しずつ手を離れ、ふぅやれやれと自分の時間がもてはじめたころに、また振り出しに戻ってしまった。

つまりー子どもだけではなく、親のストレス・疲労も大変なものなのだ。

先日、私は地震とそれ以降の経験を日本から来られたとある大学の学生さんと先生に話す機会をいただいた。

教育学を学んでいる/指導しておられるそうで子どもに対する関心が高かったので、このような状況を話した。

「どうしたらいいのかしらね」と力なく笑ったあの女の子のお母さんの顔が浮かんだ。

時間が解決するしかないんですかねと先生に尋ねると、「そうでしょうね」と東日本大震災時の例をあげつつ返してくださった。

時間が解決するしかないーどことなく残酷なようで、しかし時間をかければやがて解決していくのだとしたら望みのある言葉のようにも感じられる。

簡易的な家は建てられても、心の復興にはまだまだ長い時間がかかるだろう。

もしかしたら一生残るかもしれない。

だとしたら、無理してトラウマを早く乗り越えようとしなくてもいいのかもなと思う。

心に傷を負っていたとしても、やがて、トラウマを抱える者にだけ備わる優しさや想像力で別の誰かを癒やし勇気づける日もやってくることだろうから。

▲とにかく楽しく過ごしてほしい

お母さんも子どもたちも、頑張りすぎないでゆっくりいこうね。