嫁姑の関係がこじれたまま介護に入ると地獄だなと実感した話

昨年の地震来、かれこれ半年間、義母は二日ずつ義兄宅と我が家とを行き来している。

たとえば病気になって二日ではなく四日を義兄宅で過ごした場合は、我が家でも四日過ごしてからまた義兄宅へと渡る。双方の負担がなるべく平等になるようにみなで相談して決めた。

義兄宅で二日過ごしても我が家に来ない場合も、特に連絡があるわけではない。どうやら義兄が「心配かけるだけだから電話しなくていい」と止めているらしい。

ただ四日目も来る気配がないとなると私達も「あれ、おかしいね、病気かしら」ということで義兄宅へ様子を見に行く。逆も然りで、義兄やその家族もときどき我が家へ来る。

我が家から義兄宅は1キロも離れていない。

今週も義母は義兄宅で三日を過ごし、「調子がよくないのかなぁ?」と思い始めた頃に我が家へやってきた。「よかった、元気だ」

しかし義母は私の顔をみるなり足が痛くてねぇと自らの足をさすりあげた。

義母はかかりつけの医者に言わせるとリウマチなのだそう。私はこのお医者さんをあまり信用していないのだが、義母はこのお医者さんのいうことはわりとよく聞いている。

はいはい、リウマチだものね、と相槌をいれつつ適当に聞き流そうとしていたら義母から衝撃的な話が飛び出した。

「二日前もね、夜に寝かけていたらトイレに行きたくなってさ。立ち上がってトイレに向かったんだけど足が痛くて痛くて。トイレに到着する前に漏れちゃったのよ」

「え!?」

「F(義兄)とA(義兄嫁)が飛び起きて、(濡れた床を)拭いて大変だったの」

それは大変!

目を見開いて話の続きを待ったが、そこでストンと話は終わった。

あれ…終わっちゃったぞ。

これだと「大変でしたね」しか言えないのだが、義母は果たして何を伝えたいのだろう?

ただ共感してほしかっただけなのか、大変だったから丁寧に扱ってほしいのか、それとも何かもっと具体的な何かを訴えたいのか…。

義母は普段からしてほしいことを私に直接依頼することはほとんどない。

でも間接的にはしょっちゅう依頼しているし、「(言わなくとも)わかるでしょ、よろしく」的な空気を発していることもある。空気を読むことや察することは日本だけの話ではない。

でも、私は「言わないけど察しなさいよ」というオーラは甘えながら私を抑圧しているようにしか感じられず、大嫌いなので知らないフリをとおしている。

数ヶ月前、義母は私にこう話しかけた。

「今日は市場におかゆ屋さんが来ていたらいいのにねぇ」

おかゆ屋さんは市街地から日替わりで各地の市場へ出向いており、私達が使う市場に毎日いるわけではない。

いきなりおかゆ屋の話をするから面食らった。6年近く一緒に暮らして、義母はおかゆなど今まで片手におさまるほどしか食べてない。そんなにおかゆを心待ちにしていたっけと首をひねった。

「そうねぇ、来ていたらいいのにね」と言うのも適当でない気がして、真意をはかりかねていたら、義母はこう続けた。

「みどり、市場へはいかないの?」

なるほど、これは「みどりはもうそろそろ市場へ行く時間だろ、ついでにおかゆを買ってきておくれよ」と要請しているんだな。

でも私は心の中で「知るか」と思った。つまり、「あなたのために空気を察しておかゆを買うなんてゴメンだね」という気持ちになっていたのだ。

読者のみなさんは、ええ冷たいと引くかもしれない。

私自身だって「そんなん買ってあげればいいやん」と思う。

それでも「イ・ヤ・ダ!」と頑なに拒んでいる自分の心を無視するわけにはいかない。

私は考えた。

もしも娘が同じことを言ったらどうしただろうか。

そりゃあ訊くよね、「なぁに、おかゆを買ってきてほしいの?」って。娘がうんと答えたら、そうかいわかったよとおかゆを買い与えるだろう。

なぜ義母に同じことができないのか。

答えは簡単だ。私は義母が嫌いだからだ。

大変根強い拒否感でいい加減に自分でも呆れるが、「(娘が生まれてから私に娘を抱かせなかった日々を)許さん」と私の心の中はいまだに義母をはねつけているのは明確だった。

それが「(あなたなんて私の気持ちを散々無視してきたんだから、私だって)あなたのいうことなんてわかってやるもんか」となっているのだ。

フンガー、調子いいこと言ってんじゃねぇぞ、ふざけんな。

心のなかでガオーとオオカミになって吠え立てながら、一方でエンジェルみどりが「おかゆを買ってほしいという訴えがわかっているんだから、買えばいいじゃない」とささやく。

フンガフンガフンガーーーー。

私はめいいっぱい抵抗した。

そしてまた脳のどこか別のところにいる別な何かが妙に冷静にこう言っているのも知っていた。「抵抗すれば続くんだよ」

何かに抵抗しているとき、その出来事はその人のなかで継続しつづける。それを終わらせたければ抵抗しない、つまりさっさと許すなりなんなりするのが近道なのだった。

私はこれをとあるセミナーで学んだ。非常にいい学びであった。

グゥゥゥゥ。

オオカミは悩んだ。

このまま吠えてもおなかがすくだけだ。さっさと狩りへも出掛けたい。

「フン、お母さんはおかゆを買ってきてほしいわけ?」

こんな言い方しかできないが、義母に尋ねた。

人は、なんて言い方をするんだと私を非難するだろう。

誰も私の気持ちなんてわかりやしない。

私は娘を抱かせてもらえなかった怒りをなんとかなだめて、こうして義母に声をかけている。

それを労ってくれる人なんか一人もいない。だって表にあらわれないから。

でもオオカミは訴えている。

「俺が折れてやったんだ、偉いだろ、俺にもエサをくれ」

「なーにが折れてやった、だ。なんにも偉くなんかない。それどころか姑に対する感謝もないし、ほんとにお前はロクなやつじゃないね。わかってないのはお前のほうさ」

悪魔みどりが三角の矢印がついた先っぽでツンツンとオオカミを攻撃する。

ちっちゃなみどりが「もういいじゃん」と悪魔にいう。

「もういいじゃん、オオカミはがんばったんだよ。未熟だけどさ」

オオカミは涙をうかべてちっちゃなみどりを見つめた。

オオカミだってわかってる。

義母にもっと優しい言葉をかけたほうがいいことくらい。

でもできないんだよ。

何ヶ月も授乳タイム以外はほとんど娘を抱かせてもらえなかったあのときの絶望と悲しみが癒せていないのだから。

ちっちゃなみどりはオオカミの頭を撫でた。

悪魔は走り消え、天使はニコニコとちっちゃなみどりとオオカミを見ていた。

私がこの体験から得たことは山のようにある。

一つ、この絶望感にケリをつけない限り、介護はまず無理。

しかし、介護は待ったなしに迫ってきている。早めに対応すべし。

そう、自分自身を癒やすのだ!

一つ、人には優しくしておかないといざというときに助けてもらえない。

そんな都合のいい話はない。

もちろん、助けてもらうために優しくするのは本質的ではない。

けれど、まあとにかく人には優しくしておかないと優しさは返ってこないと心得ておいて損はない。

一つ、ちっちゃなみどりは私の味方。ありがとう。

一つ、オオカミになったとき、ちっちゃなみどりだけは私の味方であることを思い出そう。長く吠えなくてすむ。

一番大きな学びは、嫁姑の関係がこじれたまま介護に入ると地獄だなと予想がついたことだ。

あーこのまま行ったらあかんわぁ、と。

だからといって今すぐどうこうする気も正直あまりない(くどいけど義母のために何かをしようという仏心はほとんどない)。

自分を癒やさないかぎり前進は難しいことがわかったから、まずは自分を癒やすことからだなぁ。さあ、どうやって?

これからどう自らを癒やし、どんなふうにして嫁姑の関係性を良い方向へ進めていくか(良い方向へ進めようとは思っているのよ)。

まだまだ我が家のストーリーは続く。

これからも我が家の動向をどうぞお楽しみに。

そうそう、大脱線したまま終わりかけたけど、冒頭の足が痛くてトイレにたどり着くまでに尿を漏らしてしまったという話で何を訴えたかったのかはいまいち不明。

私が義母の立場なら尿を漏らしたなどとはなかなか言えないが、姑の性格を考慮するとそのへんはあっけらかんとしている人だから、気に留めていないように思う。

おそらくは、「大変だったね」と言ってほしかっただけなのだろう。

でも一度「大変だったね」と頷こうものなら、そこから延々と大変だった話が続いて私も疲れる。こうした話はご近所の気の合う人同士でやってもらうように、それとなーくセッティングするのが今のところ最善…かな。

ふぅ、嫁姑一つの関係性を紡いでいくのも楽じゃないねぇ。

でも、楽しんでいこう。

家庭から世界平和をつくっていく小さな一歩なんだから。

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