姑サーちゃんと家族との奇跡ように美しい一日

奇跡という言葉は安易に使わないほうだけど…。
今日は使ってもいいかな、と思う。

姑サーちゃん、7月10日に倒れてからほぼ寝たきりで全介護となった。脳梗塞で右半身が付随になり、言葉も思うように操れなくなった。声はでるけどこれまでより小さく、少しもつれて聞き取りにくい。日々の介護は長兄夫婦がメインで、私たち夫婦が夕方16時ごろから夜21時ごろまで手伝いにいった。

はじめは車いすに座れていたのも座れなくなり、ごはんの量も少なくなってきた。褥瘡になりかけているのだろう、しきりに痒い痛いといっては私たちを呼んで、背中側の首の根っこや尾てい骨のあたりを掻いてと頼まれた。

8月のお盆を過ぎたころには、ごはんはお粥を3-4匙/回×1日2回と果物少々を口にする程度に落ち込んでいた。だんだん言葉数が少なくなり、様々な反応も鈍くなってきた。お祈りの時間以外はほとんど寝ていて、臥位でのお祈りをしながら途中で寝てしまうこともたびたびあった。

8月31日からお祈りをやめた。お祈りのためのベールを頭にかぶせても、お祈りをはじめずにそのまま寝るからだ。

9月1日。呼びかけても反応せずに、目は開いてるけど何を見ているのか/見えていないのかわからないようなふうになってきた。介護の合間に姑の家の横に住んでいる義妹と庭で話していたら、娘と姪が「おばあちゃん、ギェーって言ってる!!!」と呼びに来た。あわてて見に行くと、たしかに鳥のつぶれた声のようにギェーギェーと声を出している。唾液がうまく呑み込めなかったみたいだ。ごはんも食べない。娘はこわいよぅと私にしがみついた。

昨日9月2日、大雨で、夫が「危ないからみどりは家にいて。僕が一人でいくから」と言い残して行った。私は7月に姑が寝たきりになって以来毎日欠かさず会っていた姑と二か月ぶりに会わなかった。

ところが。あとで夫に聞くと、大変なことがおこったとわかった。

姑の体に蟻がたくさんわいたらしい。みんなで風呂場へ抱え込んで運んで、蟻を払って、長兄が耳元で「アッラーフ・アクバル」と大きな声で唱えたんだと。


「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」は日々のお祈りのなかでも唱えるんが、日本人が思わず「南無阿弥陀仏」と唱えるような絶体絶命の場面にも使われる。ロンボク地震のときも大きな余震がドーンとくるたびにあちこちから「アッラーフ・アクバル!」と声があがった。一方、生まれてきたばかりの子の耳元で唱える句でもある。「あなたのいる場所は(あの世じゃなくて)ここだよ」と知らしめるために唱えるらしい。

今回の「アッラーフ・アクバル」は、長兄が姑に「あっちじゃなくてこっちだよ」と呼び寄せる意味合いもあったのだろう。

今日9月3日。

昨日の大雨が嘘のようにいい天気だ。

いつもどおり15時半ごろに家族みんなでバイクに乗って、半キロほど先の姑のいる次兄宅へ行った。次兄宅は長兄宅の隣にある。次兄はずっとロンボク島からボートで25分の離島にいて留守宅になっていた。そこに姑に寝てもらい、主に長兄夫婦が面倒をみている。

「姉さん、どう?」

長兄嫁は、食べないね、と返した。「それに、昨晩からずっと寝てるんだよ。あとで看護師のSさんに来てもらうことにしたわ。点滴をうつのよ」

ベッドの横に竹で作った棒が立っているのは、点滴を吊るすためのようだ。

「夜、ヤーシーンも詠むからね」

ヤーシーンはコーラン36章で、「コーランの心臓」と言われる重要な章だ。慶弔どちらの儀式にもよく使われる。

「ああ、そうなの、わかった。それで料理してるのね」

次兄宅の縁側のような場所で、夫の異母妹と異母姉とが大きなボウルにいっぱいの和え物を作っていた。ヤーシーンを詠んだあとにみなで食べるのだ。

異母妹のように座って、私もゆで卵の皮をむくのを手伝った。今日は近くの親族(長兄家族・我が家・異母兄弟家族×5・伯父伯母家族)だけ集まるらしい。45人分くらい作るよと聞いた。

しばらく料理を手伝っていたら、看護師が来た。長兄嫁がちょうどお祈りをしていたので、私が対応。馴染みの看護師なので話しやすい。

姑の呼吸はずっと整っていて、脈もわりとしっかりある。血圧も正常だった(普段がかなり高血圧なのでいつもの姑からみるとかなり低くなってる)。「まだ大丈夫そうだから、明日また来ますね」と看護師は帰っていった。

料理の現場にもどると、異母姉たちが何やら騒々しい。何の話? アカサーをするって。アカサーって?

アカサーはお祈りの一つで、ある人が病気などで周りがもう何の手も施せなくなったときに村人たちを呼んで三晩唱えるらしい(doa Akasah)。意味合いとしては、当人が痛みなどに苦しまないように、もし神にこの病を治す意図があるなら早く治してください、そうでないなら早く召してください、というもの。アカサーの祈りの儀式をするには、うちの村の場合は村の長老の許可がないといけない(それ相応の理由がないとできない)。たった今、長老の家に長兄がいったんだよと知らされた。明日長老かその遣いが家にやってきて、姑の様子をみてからアカサーをするかどうかを決めることになった。

「やっぱりさ、次兄を呼ばないといけないんじゃない?」

アカサーまでやる準備してるのに次兄を呼ばないなんておかしいよと私は異母姉たちに訴えた。

「そうだよねぇ…」

次兄は2012年に結婚した。もともと自由奔放な人で家庭に落ち着くのが性に合わなかったのだろう、仕事をしている離島から家に帰ってこなくなり、前からやっていた薬物の量も増え、ついには離婚した。その後も月に一度くらいしか帰ってこないし、連絡も取れない。姑に異変があったときは同じ島で働く人にことづけたり、ときには長兄や夫が離島まで探しに行っていた。今年は5月末に帰ってきたきりだ。7月に姑が寝たきりになったあと、姑の容態を伝えるために離島へ探しに行くように何度か進言したが、もういい加減にみなも呆れて、長兄も夫も異母兄弟たちも首を縦に振らなかった。

今日も私は長兄に、三男坊の夫に次兄を探しに行かせてもいいかと訊ねた。長兄は変わらず「あんな奴知るか」的な冷ややかな反応だった。

わかるよ、これまで長兄(と夫)が一心に姑のケアをしてきて、いまさら何もしなかった次兄が帰ってきてもね…。でもさ、今会わないともう二度と会えないかもしれないんだよ。姑に安心させてやってよ。次兄だって今会えないと一生後悔するよ。それに、今帰ってこなかったら、これから先次兄が家に帰ってくる口実もなくなるんだ。意地張ってないで、お願い。

…と長兄に言いたかったけど、言えなかった。長兄が一番介護をがんばってきたんだもの。お前(次兄)なんかに、という気持ちがよくわかる。

そこで、私は一芝居うった。

「シマ母さんが探しに行けって言ってるわよ」

長兄・次兄・夫の父親は、多妻もちだった。シマ母さんは第一夫人、姑は第二夫人である。そのシマ母さんが行けといっているのだ、行かずにはいられまい。あ、あながち嘘ではないんだよ。シマ母さんは「次兄にはもう連絡したの?」と私に聞いてきたんだから。連絡しなさいってことでしょ。

長兄はそっとして、夫に探しに行け命令(嘘)を伝えた。夫も事態がわかっていたんだろう。すぐに異母兄(シマ母さんの長男)と探しに行くことになった。もう離島への定期便もなくなっている時間だったが、去年つくったボートがある。

日没の祈りをしたあと、夫と異母兄は出発した。

女性たちは、「どうか彼らが次兄と会えますように」「会って連れて帰ってきますように」「次兄が姑と会えますように」(そして姑の心が安らぎますように)と口々にこぼしていた。

夜、イッシャのお祈り(一日5回のお祈りのうちの最後のお祈り)のあと、夜20時くらいから親族でヤーシーンを唱えた。女性のうち何名かはその後の食事の最終準備をしていて、私もそのなかにいた。異母姉が「ちょっと、アディ(夫)に電話してみてよ。私が話すから」と私をつついた。うん、いいよ。ドキドキしながら電話をした。もう次兄と会えて、ロンボク側の港まで着くところだよと返事があった。

ヤーシーンを詠み終えたあと、ほかの家族にも「次兄帰ってくるよ!」と連絡し、バイクの音がするたびに「帰ってきた⁉」と振り向き…。ははは、みんな気が気じゃないんだなぁ。

そうして、ついに夫と異母兄が次兄を連れて帰ってきた。

みんなで次兄を姑の部屋に入るように促し、夫と異母兄にはコーヒーで一服してもらった。しばらくしてから私たちも部屋に入る。次兄は姑の手を握ってベッドに座っていた。

「兄さん、お母さんは今話せないし目も見えてるかどうかわからないんだけど、声かけてあげて。『僕だよ、ドゥールだよ、帰ってきたんだ」って教えてあげて。」

次兄はそのとおりにしてくれたけど、いかんせん声が小さい。

異母姉の一人が「おばちゃーーーーん、ドゥール帰ってきたんだよーーーー。ドゥールだよーーーー。」と耳元で大きな声で伝えた。

姑の閉じた目がピクピクっと動いた。

その声に続くように、次兄も「帰ってきたよ。ドゥールだよ」とさっきより一回り大きな声で叫んだ。

姑は変わらず呼吸をしているだけだったけど、両方の目じりに一粒ずつ涙が滲んだ。

「泣いてる…」

伯母の声に私も泣きそうになる。

よかったね、お母さんに通じたね、ドゥール兄さん!

長兄がさきほどこさえた水をもってきた。ヤーシーンを唱えるときに、器に水を入れて蓋をせずにおいておく。そうするとヤーシーンの声(魂)が水に移るんだ。慶弔時などはその水でお祝い事のあった当人や遺族などの顔を洗う。

長兄は次兄にすっと器を差し出した。
「(お母さんの)顔、洗ってあげて」

次兄が右手でその水をすくい、水で寝ている姑の顔を撫でるように洗った。

ああ、神様!

夫たちが次兄を連れ帰ってきて、次兄が姑の手を握り話しかけ、長兄が次兄に水を渡し、次兄が姑の顔を洗うあいだ、ほかの言葉が何もでてこなかった。

ああ、神様!

ああ、神様!

ああ、神様!

姑に、次兄に、介護をしてきた私たちに。
今日この日を与えてくださってありがとうございました。

今日は私の誕生日だった。
でも、それどころじゃなくて誰にも祝ってと言えなかった。

なのに、こんな奇跡のような一日をいただけた。
十分すぎるほど十分だった。