面倒くさいけどお見舞いにいくわけ

姑・サーちゃんが一昨日の夜からお腹を下している。

サーちゃん曰く、夕飯を数口食べてからおかしいとのこと。

一昨日の夜。

停電のためにお米が炊き上がっておらず、ナシゴレンを買った。

どうも、それにあたったみたい。

夫・私・娘は別のものを買ったので誰も何ともなかったんだけど…。

いくばくか責任を感じる。

結局、サーちゃんは昨日まる一日体調が優れなかった。

サーちゃん、困ったときの我が子頼み。

義兄Fを呼び寄せた。

義兄Fはサーちゃんの長男で、私からみると夫の兄にあたる。

我が家から1キロほど離れたところに住んでいる。

彼は外出の用事のついでに見舞いに来てくれた。

娘ちゃんも一緒だ。

サーちゃんはちょっと調子が悪くなると、こんな具合にすぐ家族を呼ぶ。

私たち一家は時々、サーちゃんを義兄Fの家に預ける。

そのときに具合が悪くなると、やはり、私たちも電話で呼ばれる。

とにもかくにも「具合が悪いから来て」である。

呼んでどうするのか。

「いたいの、つらいの、病気なの」と訴えて慰めてもらうのだ。

それ以外にはない。

しかし、急に電話で呼び出されて、すぐに来てと言われても困る。

私たちもみな都合があるのだから。

「うわ~めんどくさ~。」

こう思う小さな人間は私だけかと思いきや、そこは義兄たちも同じ。

見舞いを頼むと、「え~」と電話口でイヤそうな声を出す。

ほかにも、行きたくない口実はいくらでもある。

忙しいし。

気乗りしないし。

ほかにやりたいことあるし。

行っても不安や不満を聞かされるだけだし。

私は、過去にサーちゃんと嫁姑合戦を繰り広げたので、「フンッ、そんなの知るか」と無視してしまいたいと思うことすらある。

それでも駆けつけるのはなぜか。

そうしたほうがサーちゃんが喜び、心を落ち着かせ、ひいては体の痛みも和らげることを知っているからだ。

特に、実際に顔を見せることは、電話口で声をきくだけとはわけが違う。

我が子(夫)や孫の顔を見て、声を聞いて、手を握るー。

何も隔てず対面するからこそ感じる温度が、たしかにある。

便利な世の中になったと思う。

私は外国に住んでいるので、テレビ電話は大助かり。

実家、友人、恩師…。

遠くにいても顔をみながら話せることの有難みをいつも感じている。

しかし、やはり生は違う。

病気で弱った心身にはなおのこと。

そのことをサーちゃん自身も私たち家族もよくわかっている。

会おうと思えばすぐ会える距離に住んでいるしね。

まあね、めんどくさいよ、めんどくさい。

その気持ちは無理に消さなくてもいい。

だけど、心地よくもある。

お見舞いに行ったあとはいつも、行ってよかったと思う。

サーちゃんが喜んでくれるから。

早く元気になりたい/なってほしい。

それだけ。

私たちはこれからも、まとわりつく様々な言い訳を振り切って、見舞いにいく。

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