姑の認知症が進んで、介護のイライラが小さくなる糸口をみつけた話

こんにちは~。みどりやで。

今日は、姑サーちゃんのおボケ(最近、おボケと呼んでいる。認知症のこと)が一段と飛躍したことがきっかけで、介護への考えが変わった話をお届けするよ。

このご時世、介護は誰でも経験しうることの一つ。

介護するほうもされるほうも、もっと楽な気持ちでいられたらいいなと思って書いたよ。

今現在介護に全く関係ない人も、読んでみて。

じゃ~、いってみよ~。

現状:姑サーちゃんのこと、家族のこと

姑サーちゃんは、いつから「認知症」といえるのかはわからない。

そもそも認知症と診断されてもいない(病院にいかないからね)。

けど、今はほぼ認知症と考えて間違いないと思う。

それを踏まえて、以下に現状を記していく。

姑サーちゃんのこれまでの経過

経過はこんなふうだ。

サーちゃん、今年の3-4月頃から日にちや曜日がわからなくなってきた。

月曜日と火曜日を間違えるのではなく、月曜日なのに「今日は木曜日だよね?」となる。


( イラスト:ふわぷかさん from イラストAC )

本格的に「あれ、おかしいぞ」と思ったのは、断食月(5月)に自分が断食した日数が数えられなくなったことだ。これまでそんなことはなかった。

そして、8月に一度私が誰だかわからなくなった。

その数日後に倒れて入院。

退院をしてからは、食事や洗髪をしたかも忘れるようになった。

そうかと思えば、ずいぶんとしっかりしているときもある。

今現在は、おボケの程度に波があるものの、生活に大きなダメージはない程度。

まだ話がかみ合うことの方が多い。

家族の悩み

本人の生活に支障はなくても、家族には困っていることがあった。

ざっくり3つにわける。

1.おボケを受け入れられず、イライラすること

義兄と夫に顕著なのだが、自分の母親の様子に自分たちの心が追いついていない。

というよりも、認知症そのものへの理解がほとんどない。

2018年のデータで、ロンボク島・スンバワ島からなる西ヌサトンガラ州の平均寿命は65.8歳(全国平均は71.2歳、日本は81.0歳)。

※出典;2010~2018年 州別出生時平均余命 インドネシア中央統計庁

多くの人はおボケがはじまる前に亡くなるのだ。

おボケがどういうもので、どんなふうに進行するのか、身近に経験しているものが少ない。

なので、おボケがおボケとわからず/わかっても受け入れられず、接し方が荒っぽくなる。

「薬ちょうだい」「もう飲んだろ?」「まだよ」「飲んだってば!しっかりしろよ!まったく!」と苛ついて大きな声を出す。

しっかりできないんだよ、サーちゃんは…。

幸か不幸か、「声を荒げてしまうんです」と自分たちを責めることはほとんどないけれど、その言い方だとサーちゃんが傷つくし、聞いてる私や娘も怖い。

私も苛立つことはある。

私はかつて姑と嫁姑問題を繰り広げたので、サーちゃんに対してあまりよい印象がない。

夫や義兄の言うことをなーんにも聞かずに自己主張ばかりしている姑をみると、それが症状のなせるわざとわかっていてもイライラする。

ん~。もうちょっと優しい言い方はできないのかなぁ~。

2.サーちゃんが親族にお金を無心すること

「(認知症の症状として)噂には聞いていたけどこれかーーーー!」というくらい、サーちゃんはお金に執着するようになった。

薬を買いたいということが多い。

でももう薬の管理ができないのだから、義兄や夫はお金を渡さない。

そうすると、「スマトラ島に住む息子に電話する!」といってきかない。

こちらは「もういいから」と何度も繰り返すが、たまに折れて電話をかける。

案の定、サーちゃんはお金を振り込んでと頼む。

スマトラの義兄は「今度な」とかなんとかうまく言ってくれる。

だけど、サーちゃんはまた数日すると「あれはもう振り込んだかしら?」と電話をせがむ(こういうときの頭はおそろしく正常なのだった)。

も~、スマトラの義兄に迷惑だから~。

3.近隣の方から白い目でみられること

食べ物でも薬でも洗髪でも、忘れるだけならいい。

だけど、あとで近所の方に「息子や嫁が○○をしてくれなかった」とこぼす。

ご近所さんは姑サーちゃんの言葉を信じて、私たち家族がひどい人のように思われる。

ギャ~ン。困る~。

これを書きながら、どれも根本的には「家庭や対人的な雰囲気が悪くなる(姑本人・私・家族親族がいい気分がしない)のがイヤ」と捉えているのではないかと気づいた。

対策:とにかくオープンにいこう!

対策を考えよう。

まず、どうなればいいのか。

さきほど述べたとおり、「家庭や対人的な雰囲気が悪くなる(姑本人・私・家族親族がいい気分がしない)のがイヤ」なんだから、この反対がいいんだよね。

つまり、

介護をしていても、

・家庭や対人的に幸せな雰囲気、いい雰囲気に包まれている

・姑本人・私・家族親族・ご近所さんが、みんないい気分でいられる

っていうのがいい。

きれいごとかもしれないけど、自分の方向性はここだな。

あとは、主な介護にあたる私・夫・義兄の足並みがそろっているといいな。

↓イメージはこんなかんじ。


(イラスト:acworksさん from イラストAC )

自分たちも、スマトラの義兄も、ご近所さんも。

サーちゃんのおボケに対して、

「そうなんや~オッケー」

「気をつけて見ておくわ~」

「なんかあったら協力するで~」

「よっしゃ、任せて~」

となれば、一気に楽になるように思う。

みんなで余裕をもって接したら、サーちゃんにも優しくできるはず。

次に、どうすればいいか?を考える。

・みんなにたくさん協力してもらって、一人ずつの負担を減らす
・サーちゃんの現状や認知症に対して理解してもらう

たとえば、サーちゃんが何かお金がほしいといっても、適当に受け流すなり、報告してもらうなりしてもらいたい。

それには、お金に執着がうまれていることや、それが認知症の症状としてはありふれたものであることを知ってもらわないと。

私のいるところは、日本のような高齢者のための施設は近くにないし、介護士もいない。

かわりに村一帯が大きな家族のようなところだ。

なので、これを生かそう。

では、そんなふうにみんなの理解と協力を得るためには、どうしたらいい?

状況を打ち明けて、協力して~お願い~って言えばいい~!(^^)!

かんたーん!

困ったときの神頼み・人頼み。

これが私がロンボク島で学んだ一番大きな財産なんだ。

私一人の力などたいしたことない。

神様・他人様の力を借りるのが一番だ。

そのかわり、私は常に姑サーちゃんと家族や近所のみんながハッピーに介護できる方向に舵をとるし、まわりの誰かが困って助けを求めていたらできるかぎり手を貸すよ。

よし、まずはオープンに。

打ち明けてお願いしていくことにしよう。

実行:まずは義兄と夫に

オープンにいけばいいのはわかったけど、どこからどう切り出そうかなぁ。

…てなことを考えていたら、今日は面白いことがあった。

サーちゃん、急に退院した日の話をしはじめたのだ。

こんな話だ。

病院から退院した日のこと。

サーちゃんが道を歩いていたら、車に乗っていた男女が話しかけてきた。

誰かわからないけど、そのうちの男の人が車から降りて、道端のブルガ(あずま屋)でサーちゃんのオムツを替えてくれた。

彼は「あ~、これはかゆいはずですよ~」とオムツのゴム跡を指さした。

「あの人は誰だったんだろう~?」と尋ねられて、私はズッコケそうになった。

なんで見知らぬ人が道端でオムツ替えてくれるねん。

どんな設定や!

アカン、めっちゃウケる…。

おボケなだけで真剣に話している姑には失礼かと思ったが、笑えて仕方がない。

心の中で存分に笑った。

そしたら、意外なほどにスッキリしたのだ。

これだ!と思った。

本人の目の前では笑わなくても、こっそり笑えば少なくとも自分の心は守れる。

介護も楽しく。ユーモラスに。

笑うのって大事やな~。

まずは、一番近い夫と義兄に、今日起こったことを話すことにした。

「サーちゃん、今日こんなこと言っててさ。面白かったんだよ~。笑っちゃった!」

「あはは!」

夫も義兄も一緒に笑った。

いいぞ、いいかんじ。

しばらくいい雰囲気で話がすすんだので、私は一番伝えたかったことを伝えることにした。

「こんなかんじで、サーちゃん、ちょっとずつおボケが進んでるの。二人とも、何かあったら本人には怒らないで、私に知らせてもらえる?」

「うん、オッケー」

おぉ、あっけないほどうまくいった!

別に私に知らせてくれたからといって、私がどうこうするんじゃない(爆)。

私がするのは観察・記録・全体の調整・依頼くらいかな。

つまりは「怒らず私に知らせる」と意識してもらえればいいんだ♪

まとめ;実行して感じたこと

サーちゃんの話をきいて思わず心の中で笑ったときに思ったことは、「あ~、深刻になってたんだな~」だった。

笑うことがガス抜きになった=それだけガスが溜まっていたってことだものね。

ガス(ストレス)は溜まっても仕方ないから、うまく出す方法を見つければいい。

その一つとして、他人を頼ることや介護にユーモアを取り入れることを得た。

私だけでなく、相手にもユーモアをまじえて楽しそうに話したほうが、相手もくつろげるし話を聞いてもらいやすいと感じた。

介護は大変・辛いというイメージが私にはあった。

だからこそ、サーちゃんがいろいろなことを忘れ、ついには私のこともわからなくなったときから、だんだん深刻になっていた。

これからどんどんひどくなる一方だと思ったのだ。

だけどさ、もっと明るく楽しく介護することだって可能なんじゃないかな?

おボケを治すことはできないけど、その楽しく介護する方向へ舵をとるのは私たちにもできる。

今回、サーちゃんのおボケを笑ってしまったことで、そう思えたのは大きな収穫だった。

私は、サーちゃんも私たちも楽しく幸せに過ごせる方向に進みたい。

誰かが我慢したり不幸せな気持ちを感じたりしながら何かが成立するのってイヤだ。

家族や村の人々、みんなでみんなを助け合い、労わりあい、慈しみあえたらいいなといつも思っている。

それは普段の生活に介護が新しく加わっても同じ。

なんたって、笑いの絶えない介護の現場っていいよね!

うん。

介護も楽しくやっていこう。

嘆くことより楽しむことで、そんな楽しい現場になっていくだろう。

「こんなの楽しめない」と思うことも時にはあるし、症状が進行するにつれ、もっと辛いことが起こるかもしれない。

それでも、楽しむことを忘れずにいよう。

そのためにたくさん助けたり助けてもらったりしよう♪

こんなふうな我が家の様子。

いいなと思えることがあったら、何か一つでも一日だけでもあなたの生活に取り入れていただけたらうれしい。

(みどり)

関連書籍

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とくに特別連載にはすごく為になる話がいっぱいあるよ。

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