(※注意※本日の記事には、便に関する具体的な記述があります。ご了承のうえ、時や場所を見計らって御覧ください)
2月のことだ。
洗濯をするために洗濯機置き場へいくと、強い臭いがした。
明らかに大きいほうの便の臭いだ。
姑サーちゃんがお手洗いのあと流し忘れたのかなぁと隣のお手洗いを覗くと、便座から床にかけてやわらかめの便がもりもりっと山積みになっていた。
ギョエーーー。
私は逃げ帰りたくなった。
が、ここは私の家だ。ほかに帰るところはない。
明け方の5時、家族はみんなまだ寝ていた。
私…、だよなぁ。
はぁ~と気が重くなったが、この臭いに耐えながら洗濯機の前で作業できそうにはなかった。
オッケー、私が片付けるよ。
*
うちのお手洗いはシャワー兼トイレだ。
床はタイル張りで気兼ねなく水をかけられる。
よかったー、これで実家みたい便座の下にフワフワのマットを敷いていたら地獄である。
バケツに水を溜めて、バシャバシャーッと便の横から排水溝へ向かって水をかけた。
固形の便ならうまく流れるのかもしれないが、半固形なので便がデロデロ~ッと広がった。
うぉぉぉい、やめてくれぇぇぇい。
まっすぐに排水溝へ向かってよぅ!
くさいーきたないーいやだーと泣き叫びたい気持ちでいっぱいだ。
便との格闘の末、なんとか掃除と洗濯機を回し終えたころには、もう一日分のエネルギーを使ったかのようにグッタリとした。
サーちゃんと朝の挨拶をしたが、サーちゃんは便のことには一言も触れなかった。
私もそっとしておいた。
娘と夫を起こし、何事もなかったかのように幼稚園へ送った。
*
今朝、玄関のドアを開けたら、玄関前から門へと続くコンクリートで固めた道に点々と土が盛ってあった。
私はピンときた。
ロンボク島の人は、道端に犬や馬の便やヒトの吐しゃ物などがあった場合は土をかける。
土をかぶせておくと便や吐しゃ物は分解され、土と一緒に竹箒でサラサラと掃くことができるのだ。
サーちゃんが夜中にトイレにいこうとして間に合わず、外で便を出して、土をかぶせたのかな?
このところ、夜間はオムツをはいてもらうことも考えているのだが、こうして外でできるなら外でしたほうがいいのかもしれない。
もともと自然と共存しているロンボクの村人にとっては、オムツよりも土の上でしたほうが気分もいいだろう。
オムツをする気恥ずかしさも感じさせずにすむし、安全だし。
サーちゃん、よかったね。
ところが、夕飯のあとの団欒で夫が私に教えてくれた。
昨晩帰宅したら、庭のあちこちに便が落ちていた。だから土を盛ったのだ、と。
ああ、土をかけたのは夫だったのか。
「お母さん、最近そうなんだよ。私ももう二回トイレの床の上の便を掃除したよ。プーちゃん(娘)も流し忘れたヤツを流してくれたことがあるの」
「そっかぁ」
「うん。でも、お母さんも、そうしたくてしてるんじゃないんだよ」
「だよなぁ」
「だから、怒らないでね」
「うん」
夫は私の肩に手を置いてポンポンと叩いた。
「仕方ないな。がんばろーぜ、同士よ…」という意味なのだろうなと受け取った。
*
この1ヶ月で、私も娘も夫も身内の介護の洗礼を浴びた。
みなギョッとしながらも、私は便座と床を磨き上げ、娘は便器の中の便を流し、夫は庭の便に土をかぶせた。
臭い汚いイヤだと思いながらも、サーちゃんの気持ちも理解している。
恥ずかしい。
情けない。
なかったことにしたい。
怒られたくない。
責められたくない。
家族であっても便を見られたくない。
どう伝えればいいのかわからない。
自分が老いて、いろいろなことができなくなることを見つめたくない。
きっとサーちゃんはこのまま素知らぬふりをするだろう。
認知症だから忘れてしまうのではない。
私の観察と分析が正しければ、サーちゃんはまだこれくらいのことは覚えているはずだ。
でも、自分からは言い出さないやろうな~。
そんな姑の気持ちを理解していても、目の前に便があり臭いをかぐと「やっぱりイヤだー」と背をそむけたくなる。
少なくとも「喜んで♪」なんて声はでてこない。
積もり積もると爆発しそうだから、ここをどう克服するかは目下の課題だな。
そういえば、私は便座を磨いているときに、テレビか何かで見た東日本大震災後に新幹線のトイレ清掃にあたった方の話をチラッと思い浮かべた。
身内ではなく他人の使った後のお手洗いを、どう思って掃除したんだろう。
どんなことに喜びを見出しているんだろう。
上司はどんなふうに部下を指導しているんだろう。
何かヒントがあるはず。
私や家族の心の健康のためにリサーチしておこうと思った。
(Midori Rahma Safitri)
(追記)最後の段落で書いた清掃係の話は本になってた!
読んでみよう。
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