姑が倒れた日のこと

もう1カ月以上前だが、4月11日のことを書く。

その日は、珍しく近所の子どもたちが4人、我が家へ来ていた。みな娘と同い年か1つ年下で、ブロックを積み重ねてキャッキャと遊んでいた。子どもたちが機嫌よくしているので、姑は料理に専念し、私は庭で足ふきマットを手洗いしていた。

洗濯が終わってヤレヤレと家の中に入ると、Aくんが流行りの歌を大声で歌い、グネグネ踊りながら寄ってきた。すっごく楽しそう!

「みんなで踊ろう~」とYoutubeでその曲を選択し、スピーカーにつないで大きな音にして、子どもたちと一緒に踊りはじめた。

楽しく踊っている最中に、台所から魚の焼けるにおいが流れてきた。

「あれ~、今日は揚げ魚にするって言ってたのに、焼き魚に変更したのかな?」

私はそう思いながらも、踊りが楽しかったのと、揚げ魚より焼き魚のほうが好きなのと、料理は姑に任せていることから、そのまま子どもたちと踊り続けた。

しかし、だんだん魚の焼ける匂いが焦げるような匂いに変わり、台所から煙がモウモウと私たちのいたスペースまで流れ込んできた。

「お母さん、どうした…っ、の?」

声をかけ終わる前に台所の前で姑が勝手口に手をかけて、かがんでいるのが見えた。

「え、お母さん!?」

左手は、真っ白な煙の山。慌てて火を消した。煙に顔をつっこむと、少ない揚げ油の中に12センチほどの魚が一尾、半焦げになっていた。揚げ油がブクブク煮立っている。

危なかった、でも間に合ったと思った瞬間に、油って煮立つのかとか、やっぱり揚げていたんだとか、短い考えが点滅灯のようにチカチカ浮かんで消えた。

鍋は余熱でダメになるかもしれないと思ったが、もう火の元は大丈夫と見て姑に駆け寄った。

つい10秒前にかがんでいた姑は、ドアに寄りかかるように倒れていた。足元と床に何か黄色い液状のものが点々とついていた。顔を近づけてみると、それは姑の便だった。

なるほど。姑は魚を揚げている途中で用を足したくなったのか。お手洗いは勝手口をでて目の前にある。姑は魚を低温でじっくり揚げるので、ちょっとお手洗いへいく間なら火元を離れてもいいと考えたのだろう。

「お母さん!お母さん!」

呼びかけると小さな唸り声が聞こえた。ひとまず意識はあるようだ。

ふと気付くと子どもたちが見ていた。まん丸い目が私のほうに向けられていた。「おばあちゃん、どうしたの」「倒れたの」「…」子どもたちは遊んでいたところに戻った。



姑をベッドに運ぼうにも姑は全く自分で立てないようだった。私の声も聞こえているのかどうかわからない。姑は私より背も高く、体格がいい。運ぶのは無理だがこのままというわけにもいかない。

夫は仕事だ。しかもお客様対応で一番忙しい時間帯だった。

村役場に勤める夫の兄に電話した。

「兄さん、すぐ来てほしい。お母さんが倒れた」

兄さんはすぐ行くといってくれた。

「お母さん、兄さんが来てくれるからね」

姑の脚についたり床に落ちたりした便をふき取っているころ、兄さんが我が家に到着。手短に経過を話して、二人でやっとのことで姑をベッドへ運んだ。少し緊張の糸が解けた。

いつの間にか子どもたちは帰ったようだった。娘は一人で庭で遊んでいた。なんとはなくそうしたほうがいいと察したのだろう。

再びベッドの姑をみるととても静かだった。

寝ているのかな…。でもなんか白っぽい顔をしている。

「母さん、母さん」

兄さんが姑の顔の近くで呼びかけた。しかし眉の一つも動かない。

「おい、母さん、母さん!」

だんだん兄さんの声が大きくなる。霊的なことは素人の私ですら、姑の魂が抜けてどこかへ行ってしまった!と感じた。

姑がそこにいなかった。

こんな簡単に死んでしまうのか。

「おい、おい!母さん!母さん!!」

その瞬間に兄さんは姑の耳元でコーランの一節を唱え始めた。日本風にいうと、全力でお経を唱えているようなものだ。これを本人に聞こえるように唱える。「あなたがいるのはこっちですよ」とわからせるためだ。

そう長くなかったと思う、兄さんが呟いていたのは。

姑が何かを手で払いのけるような仕草をした。

「おい、母さん、母さん、聞こえるか」

姑は大量の汗をかきはじめた。兄さんと二人で服を着替えさせ、水を少し飲ませた。姑は私たちの応答にときどき頷き、少し眠った。



終わったころに夫が超特急で帰ってきた。兄さんは職場に戻れそうにないむね連絡をして、夫と入れ替わりでいったん家に帰った。

ここからあとはおおまかにしか覚えていない。

炭と化した魚を処分し、真っ黒焦げになった鍋を磨いたこと。

娘がおばあちゃんのベッドのそばで座ってじっとしていたこと。

再び来てくれた兄さんと夫と三人で昼ごはんを食べたこと。

実母に電話し、少し気分が鎮まったこと。

兄さんは血圧があがったのだろうといい、私は心労ではないかと話したこと。

どっちにしても素人にはわからないので、近くに住む看護師に脈をはかってほしいと頼みにいったこと。

夫と兄さんがタバコを吸うのをみて、どういう気持ちなのかな、タバコで落ち着けたらいいなと思ったこと。

1-2時間ほどあとに姑が目覚め、意識が戻っていたこと。

夜、兄さんのお嫁さんと子ども二人が来て、みんなで紅茶を飲んだこと。そのころには姑もおかゆを食べたり、自分で歩いてトイレへ行ったり、みんなと話したりできたこと。

姑は夜にかかりつけの町医者のところへいき、その町医者に前日に渡した薬が合っていなかったのだろうと言われた。

さらには、翌日兄さんから「昨日、母さんは故○○さんに取り憑かれていたんだって」と連絡があった。ロンボク島にはこういうのを視てくれる人がいるのだ。

相変わらず私は心因性のものではないかと思っている。

どれが本当の原因かなんて誰にもわからないし、知ろうともしない。あ~、また起きられるようになってよかったよかった、めでたしめでたし、の世界である。のんきだなと思う。でも幸せだなとも。

そんな私にもロンボクの人々の呑気さやおおらかさが少しずつ染み付いてきて、ああ鍋一個焦がしただけで本当によかったと心の底から思った。

それからもう一つ。

私は出産直後、娘を独占する姑に姑なんか死んでしまえと思っていた。

それでも今回、姑の便もふけたし、「死なないで!」とまではいかないものの「死ななかったのか、チェッ」とも思わなかった。その自分に、少し安堵した。

ということは、いつまでも姑を許さない自分や一時的とはいえ死んでしまえと思っていた自分自身を、少なからず人でなしと冷たく見限っていた部分があったと考えてよい。そして、どうか自分がそんな人でなしではありませんようにとどこかで祈っていたのかもしれない。

だから、川の向こうへ行きかけた姑を憎まずケアできたことにほっとした。

自分がこんなふうに思っているとは知らなかった。私とて四六時中「姑なんか大嫌い」と憎んでいるのではない。ときには「もう水に流そうか」と思うこともある。しかしまた、寄せては引く波のように「やっぱムカツク、あのときのことは許さない」とぶり返す。

そこまでは感じていたけれど。姑のことではなく、姑を許せない自分にムカついているのだな。まだまだ未熟な私と知りつつ、心の底の底の底ではその自分を受け入れてはいないということだろう。

どうだろう、みどり。あなたは人でなしだろうか。

「違うよ、人だよ。未熟な人間だよ」

そろそろ、姑のことをいまだに許せない自分自身を許してあげたら?

実母から「あまり聞きたくないかもしれないけど」と前置きしたうえでこう言われた。「これからそういう(姑にヒヤヒヤしたり慌てて介護に走ったりする)日が増えてくるよ」

舅と姑の介護をした母。母の言うとおりだろう。

姑の老いはもう形になりはじめた。まだ一度倒れただけでその後は健康に過ごしているものの、いざというとき誰がどう介護をするのかを家族親族で話し合ったほうがいい。

しかし、言うは易く。

いきなり私が主導権とって話し合いしましょう~ってのも変だよね、という心の声がきこえる。だいたい話し合うったって誰が応じてくれるんだろう。
そんなことを考えるだけで幾日も過ぎた。

そうだ、その前に、私は姑を許せない自分自身を許すという大きな仕事をやってしまおう。どうやってやるのかはわからないけれど。なんとなく見当はついているから、それをやろう。もう思い切って決着をつけてしまうんだ、これからの私と家族のために。

そうすれば、姑の倒れた4月11日は、私たちの嫁姑問題においていい意味でのターニングポイントになるはずだ。

まずはそこから。

私には、「そこそこ」「まずまず」で手を打っていた嫁姑問題が大きく動こうとしているように見えた。

(きっと続く)

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