【私の使命】娘2歳の誕生日に寄せて。お母ちゃんはこの道をいきます。

※この記事は2015年6月9日に別ブログに掲載したものです。

こんにちは。みどりです。

今日は娘の2歳の誕生日です。

娘のために、世界の子どもたちのために、
その子どもたちの親や子のために、
私がこんな世界を作っていくんだということを
ここに宣言します。

お互いにわかりあえて笑顔の未来がつくれると思うと、
今どれだけケンカしてても憎しみあってても、
その未来までの道のりやねんから楽しめる。

そしたら、あいつ嫌いとか恨みとか死んでしまえとかがあっても、
わかってもらえない、かまってもらえない
孤独や寂しさや苛立ちに深く浸かって、
大きなこと(実際に殺す、自死する、生きてるけど心が死ぬなど)にはならへん。
それどころか平和で建設的に楽しくいきていけます。

私は自分の子どもが
人を殺したり殺されたりするようなことは
絶対にあってほしくはありません。

安心してのびのびと
自分の生をきらきら輝かせて生きてほしい。

自分の子どもだけじゃなくて。
孤児院で出会った、あの子もこの子も、
愛したくないと思っているあの人のこの人も。
私自身も。

安心してのびのびと
自分の生をきらきら輝かせて生きてほしい。

誰もが安心してのびのびと
自分の生をきらきら輝かせて生きていけるように、
平和な世の中をつくります。ともに慈しむ社会をつくります。

わが子との思い出はアルバムをつくって大切にします。
他人との日々の暮らしもそんなふうに楽しんで、
ともに慈しんでいきましょう。

私は娘の寝ている顔をみていて思うのです。

「ほんとにこの子はかわいいなぁ。
世界で一番かわいいなぁ。」

「この子を愛するのと同じ深さで
ほかの人のことも愛することができたら、
どれだけ平和なことだろう」

そう思うものの、具体的に何をしたらいいのかわからなくて、
私は何にもしてきませんでした。

いえ、何をどうしたらいいかは薄々わかっているんです。

文字通り、わが子を愛するのと同じ深さで、
ほかの人を愛していけばいいんだから。

でも、いろんな考えが邪魔をします。

「あの人は私にこんなこと言ったんだから、
子どもと同じ深さで愛するなんて無理。
愛したくもない」

「この人は嘘ばかりついて信用できない。
愛するなんてとてもじゃないけどできないわ。」

「この子は一回面倒みたらなんぼでも寄ってくる。
いい加減私も疲れた。もう勘弁して。」

あの人は、この人は…。
人のせいにして諦めるのが私のパターンです。

インドの寝台列車の中で、
チベット僧侶の集団と一緒になったことがあります。

彼らは英語がほとんどできなかったので、
身振り手振りで一緒にトランプをしたり、
ごはんを食べたりして過ごしました。
とっても楽しかった。

日本に帰国したあと、
チベットが弾圧をうけているときき、
彼らの顔が浮かんでデモ行進に参加しました。

私はデモは平和なものだと思っていたのですが、
一部危険を感じる雰囲気もありました。

平和のためにやっていることなのに、
武器こそ使わないもののお互いが攻撃しあって、
なんだかあまり平和じゃないなって思いました。

異なる意見や考えの人たちが
わかりあえることはないのでしょうか。

わが子を愛するのと同じ深さで
ほかの人のことも愛することはできないのでしょうか。

世の中を見渡し、自分の人生を振り返ると、
自分とまったく同じ意見の人は
一人もいないことに気がつきます。

私ではない人、それが他人です。
私と考え方が異なって当然。

私たちは毎日、他人とともに生きています。

家の中で、学校で、会社で、地域で、社会で、
異なる考えの人とともに生きています。

一人では生きていけないのに、
自分以外の誰か(=異なる考えをもっている人)と
わかりあえないのだとしたら、
それはとても孤独で寂しいと私は感じます。

だけど、私は、人はわかりあえると信じています。

なぜなら、わかりあってきたことがあるからです。

子どものころにめっちゃケンカしてた友達と仲直りしたとか、

いけすかんと思っていた先生が卒業のときにジンとくることを言ってくれたとか、

無視されてた先輩からごめんなさいの手紙が来たとか、

彼との結婚に大反対した両親が承諾してくれたとか。

インドネシアの姑にありがとうと言えたとか。

そうやってわかりあってきたことがあるから、
人はわかりあえると信じられます。

それどころか、いまは、
当時もめていたときのことを笑い話にもできます。

逆に、今何か揉めていることがあったとして。

これはこのあと笑い話になるはずだ、

この人とはうまくやっていけるはずだというところから

お互いに連絡したり会ったり話し合ったりしたら、

今、どれだけ揉めていても楽しめると思うんです。

楽しむというとちょっと語弊があるかもしれないけど、

その揉め事にかけてる労力や時間がおしくない。

このあとうまくやっていけるんやったら、

これくらいお安い御用だし、

それどころか愛おしい、貴重な経験やなって思う。

まあ実際には、

クソーとか、なんでやねんーとか、死んでまえとかあるけど、

ふとね、「あ、でもうまくいくとしたら、これも面白いか」ってなる。

だから、うまくいくこと・わかりあえること前提で

しつこく(笑)接するんだけどね。

私は、ともに慈しむ社会をつくります。
(楽しむから慈しむにかえました)

ともに慈しむ社会とは、
人と人とがお互いに愛情をもって大切にしあう社会です。

それは、人と一緒に暮らしていくなかでおこる、
泣いたり笑ったり悲しんだり怒ったり喜んだりといった、
いろんな過程を楽しむことで可能です。

そのために、今自分の住んでいるロンボク島に、コミュニティスペースをつくります。
そこを拠点にして、体験型・交流型のツアー、ワークショップ、イベントなどを行います。

すぐにロンボク島に来られない人も、
自分の住んでいるところで体感できる仕組みをつくります。
(具体案はまだ思いつきません)

(10年後)
→ロンボクのコミュニティスペースに訪れた人が、
自分のところにも同じようなスペースを作っています。
(世界に3箇所)

→一緒に仕事をしているお母さんたちが100人をこえ、
ロンボク各地に散らばっている。
各地に小グループがあって、私以外の誰かがまとめている

(5年後)
・法人化する
・サマサマセナンプロジェクト
→私がいなくても成り立つ(任せられる)
→少なくとも5人は独立する
→ロンボク土産の定番がうまれている

・主人のゲストハウスが完成している

(3年後)
・インターン、ボランティアがやってくる。

→世界各国から雨季でもお客様がやってくる
→ロンボクのお母さんたちとともに仕事をつくりだす。
20人に安定してお給料が払える(月2万円×20人)
※たぶんかなり物価があがっているはず
→少なくとも1人は独立する
→北ロンボク以外のお母さんとも会う

・売り上げ300万円/月

(1年後)
・イベント、ワークショップ、ツアーに
日本以外の国からもお客様がやってくる

※ロンボク島の観光客をひっぱってくるのではなくて、
イベントのためにお客様がロンボクへやってくる。

→のべ300人のお客様が参加
(うち50人はイベントのために来た人)

・サマサマセナンプロジェクト
→ロンボクのお母さんたちとともに仕事をつくりだす。
10人に安定してお給料が払える(月1万円×10人)
→インターネット販売、英語対応

・桜の時期に姑、夫、娘を日本へ連れて行く(旅行)

・売り上げ50万円/月

(半年後)
・イベント、ワークショップ開始。
→のべ120人のお客様が参加

・サマサマセナンプロジェクト開始(済)
→ロンボクのお母さんたちとともに仕事をつくりだす。
5人に安定してお給料が払える(月1万円×5人)
※インドネシアの新卒採用平均月収1.6万円
→ネット販売開始

・売り上げ30万円/月

※荒削りなので道のりは追加訂正していきます

超長文でした。

斜め読みであったとしても、
最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

一緒に「ともに慈しむ社会」をつくっていきましょう。

(2015年6月9日)
みどり

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