あるストリートチルドレンの女の子と出会った

昨日、あるイベントの手伝いで娘とマタラム市へ出た。

イベントは14時開場で、予定通り15時に開演した。

今回のイベントは日本のある企業の研修で、ロンボクの若者たちと交流をもちたいと企画されたもの。

相撲、射的、べっこうあめ作りなど日本の夏祭りの屋台が体験できるブースをつくり、ミニ運動会あり、盆踊りありと盛りだくさんのイベントだった。この様子は諸々の許可を得次第、このブログにて伝えていきたい。

今日はそのイベントの最中に出会った、ある子どもの話を書く。

イベント時、私は受付を担当していた。受付に向かって右に実行委員の待機場所があり、左に会場があった。

開演して1時間がたったころ、実行委員の待機場所から「みどりちゃん、この子受付通った?」と質問があった。

何かやらかした子がいるのかとその子を見に行くと、9~10歳くらいの子が寝かされていた。カラフルなタイダイ染めのTシャツを着ている。高校生以上の来客が多かったので、この年でおまけにこんなに派手な服だったら覚えているはずだか記憶にない。脇からスルリと紛れこんだのだろう。

「この子、受付とおってないですね。どうしたんです?」

「相撲に参加して、倒されたあと目を覚まさなくて…」

「え、ちょっと見ていいですか?」

呼吸はあり、脈もしっかりしていた。

顔色も悪くはなさそうだ。

しかし、意識がない。

「頭とか打ってないですか?」

相撲を見ていた人から大丈夫、たぶん驚いただけだと思うよと返答があった。

「親は?」

「それが、一人で来たみたいで…」

とにかく病院に連れて行こうということになり、ほぼ仕事の終わりかけていた私が連れていくことになった。

相撲を見ていた男性が子供を抱きかかえてくれ、会場の警備員も病院に付き添ってくれた。

運よく会場の斜め向かいに病院があった。もう閉まっている時間だったが救急外来をやっていた。

状況を話すと若い医師が助手にいくつかの手配を指示した。

「おーい、聞こえる?名前は?」と声をかけるも、返事はない。目から一粒の涙がこぼれ落ちた。

「どこか痛いところはあるか?」

やはり返事はなかったが、無事に医師に引き渡したことでみなの緊張が少しとけ、いろいろなことを話し始めた。

「この子、anak jalananだよ。時々みかけるんだ」と警備員。anakは子ども、jalanは道という意味だ。ストリートチルドレンのことをanak jalanan というのか。「たぶん、おなかがすいているんだと思うよ。朝から食べてないんじゃないかな」

もう一人の相撲を見学していた男性は、相撲の様子を動画に撮っていると見せてくれた。動画によると、この子は大人の男性相手に相撲をとって、相手の男性はそれはもうやさしく手加減してその子の体を土俵の外に出していた。全く脳震盪の心配はなさそうだ。

「おなかがすいてるのかな?」

「たぶんね。それと負けてショックだったんじゃない?」

そんな話をしていたら、その子は足をさすっていた私の手を嫌がって身をよじった。

「あ!」

反応した!

医者がもう一度名前や住所を聞いたが、声が小さくてよくわからない。

「おなかすいてないか? ごはん食べるか?」と聞くと首を縦に振った。

すぐに警備員がお弁当と紅茶を買ってきた。その子は起き上がって、バクバクと食べ始めた。本当におなかがすいていたんだなあ…。

その子は会場近くの村に母親と住んでいるとのことだった。父親はいないらしい。名前からバリ(バリヒンドゥー教)の子であることと、女の子だということもわかった。短髪と服装、顔つきから男の子だと思っていたので驚いた。年齢は「4,6」と答えた。自分の年齢を知らないだけでなく、年齢の概念も知らないのだろう。先の警備員がストリートチルドレンだと見間違ったほどに、普段は家ではなくて道端にいるのだろうなとも想像できた。

彼女は紅茶の冷たいのを飲んで「これなぁに?」と聞いてきた。「紅茶だよ」「おいしい」パッと大きな笑顔をみせた。

そこにいる大人は誰も何も言わなかったけれど、みんな「紅茶を知らずに育ったのか…」と彼女を不憫に感じたはずだった。ここでは家で飲むのはほとんど紅茶だ。ジュースやコーラや牛乳よりも紅茶が普段使いされている。

彼女が食べるのを見ながら、大人たちは今日のイベントの詳細などを医師と助手に話していた。

突然彼女が「おしっこ!」と言った。両腕を水平に持ち上げている。トイレにいきたいが、診察台の上から降りられない、降ろしてほしいということのようだ。

少しブスッとした顔をしていたが、私が近づいてほいと抱き上げると、彼女は私の首に腕を巻きつけた。

「あらあら、大きな子どもだねぇ」

私は彼女を抱っこしたままお手洗いまで連れて行った。お手洗いが終わったあとも、また彼女は手を広げて抱っこをせがんだ。

「お母さんだと思っているんだね」とほかの男性たちは微笑んでいた。私は彼女の体重が軽いなぁと思った。

ごはんを食べ終えたあと、彼女はモゴモゴと何か言った。どうしたのと尋ねると、もう帰るのかと聞き返してきた。

「そうだよ」

「わたしは?」

「あなたもよ。家に帰ろう?」

「さっきピストルで遊んだ!」

ああ、イベント会場で射的をしたのか。もう一度射的をやりたいと言っているのだな。

「じゃあ、またイベント会場にいく?」

「うん!」

そして、彼女はまた両手を広げた。抱っこしてもらえると確信して嬉しそうにしていた。

「もう歩けるんだから、歩いていきなよ」と見物客の男性に笑われていたが、その子は抱っこがいいときかなかった。

「いいですよ。甘えさせてあげてください」

男性に私の荷物をもってもらい、私たちは病院をあとにすることにした。医師は診察代をただにしてくれた。

彼女はすぐさま射的のところへいき、歓声をあげながら遊んだ。実行委員に預けていた娘も合流して、みんなでしばし一緒にいた。私だけでなく、すでに話をきいていたほかの人々も彼女にかわるがわる声をかけたり折り紙などの小さなプレゼントを渡したりしていた。

どれくらいたったか、彼女は「帰る…」とつぶやいた。私は彼女が「帰る…」と言った理由が少しわかるような気がした。彼女のほかに、一人でいる子どもがいなかったからだ。大人もそう。みんな誰かと知り合いで、誰かと一緒にいる。

彼女の村の名前は聞いていたが、私たち実行委員はその村がどこにあるのかわからない。彼女も家の場所を説明できなかった。警備員に送ってもらったほうがいいということになった。

その話を娘と日本人会会員の娘さん・Kちゃんが聞いていた。「どうしたの?」「この子を警備室まで送っていくんだよ」「一人できたの?お父さんとお母さんは?」「お父さんはいないんだって」「そう…」

二人は私と一緒に彼女を警備室まで送りに行った。

私が警備員さんによろしくお願いしますと頭を下げ、彼女に「おうちに帰れるからね」と声をかけているあいだに、Kちゃんが彼女にそっとお弁当を渡した。おそらくKちゃんがお母さんに買ってもらったものであろう。Kちゃんも娘も静かに、肩を落としながら警備室から実行委員の待機場所まで戻った。優しい子たち。

娘。Kちゃん。姪。娘の友達。何不自由ない生活とまではいかないけれど、お母さんに甘えたいときに甘えて、時には軽くあしらわれたりうざがられたりしながら日々過ごしている。

あの少女は誰かに甘えているのだろうか。わからない。

彼女も同じくらい甘えたいときに甘えられていたらいいな、どうかな、と朝から娘の顔をみるたびに彼女の顔がちらちらと頭をよぎる。

彼女は紅茶も知らなかったし、話しぶりからして学校にも行っていないようにみえた。貧しいのはよくわかったが、だからといって親の愛情が欠落しているとはいえない。

私は今回、彼女と病院へいき、「悲しい」という気持ちよりも不思議と「嬉しい」という気持ちのほうが大きかった。

彼女がとても気持ちよく翼のように両手を広げて抱っこをせがんできたからだ。

見ず知らずの大人に何の迷いもなく体を預けられるなんて。彼女の中には、まだ希望があるのだな。それくらい、彼女のお母さんや周りの人たちが彼女を見守っているのだな。

どうか私の直感が当たっていますように。親がいなくても貧しくても、毎日見守る人が変っても、彼女に愛情を注ぐ人が絶えずいますように。

私は横目で娘と姪をみて、この子たちにも愛情を注ぐ人がずっといますように、と付け加えた。

みどり

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