ロンボク島地震/避難生活記録・13日目~インドネシア独立記念日。自立の一歩を踏み出す

パギー(おはよう)、みどりやで。

インドネシア独立記念日の様子を書くよ。

ドラマティックな1日やったで。

●8月17日(金) ロンボク地震発生後13日後

昨年2017年のインドネシア独立記念日は、ロンボク島の離島ギリアイルでお客様と迎えた。大きなホテルの前で従業員たちが式典を行なっているのを見て、数年後には私もほかのスタッフたちと独立記念日を祝いたいなぁと思ったものだ。

さて、避難地でも数日前から、独立記念日の式典を避難地内で行うかどうか、または規模の大きな避難地で行われる式典に参加するかどうかと話していた。村長がどこかから国旗を持ってきてテントの上に掲揚した。

当日の朝もどうするかねぇなどと言っているうちに、大きな避難地のある方から式典はじめますという放送が聞こえてきて、「あ、もう始まっちゃったみたいだね」「へへへ」と私たちは結局何もしなかった。マイペースなの?確信犯なの???

とにかく私たちの避難地では特にお祝いしないことがわかったので、私たちは避難地となっている丘をおりて各自の家に戻り、片付けを始めた。夫は自家発電機を買いたいと言い出した。少し前にも同じことを言い、そのときに値段は調べてあった。

「いつ電気が復旧するかわからないしさ。電気がきてもこれから(毎週のようにある計画)停電のたびにずっと使えるから」釣り船を買うために貯めていたお金を使うそうだ。

いいよと返して、でもどこで買えるのかな、もうお店は開いてるのかなと数秒考えた。

*

軍隊の助けも借りながら撤去片付けをして数時間たったころ、私の携帯に着信音があった。我が家のお向かいさんからだ。

「お母さん(私の姑)が荷物をまとめて帰るって…」

携帯の背後が騒がしいのと電波が良くないのとでよく聞き取れない。

「はい?どうしたの?」

夫にかわってもらう。

どうやら私たちの避難地は解散することになったらしい。なので荷物をまとめに来いということだった。

真偽が定かではなく、夫だけがすぐに再度避難地へ行った。

夫は大きな荷物を抱えて帰ってきた。

「やっぱり避難地での避難を辞めて村に降りるって!」

「村長令なの?」

「いいや。沢山の人が帰りたいと訴えたらしい」

「政府が避難するよう言ってるんじゃなかったっけ?」

「知るもんか。丘に残ってもいいけど、誰も残ってないよ」

「へー(@_@)!で、家で暮らすの? 家が全壊した人は???」

「みんなテント暮らしだよ。もうテントも分けた。僕らはS姉さんちの横の空き地にテントを張るってさ」

「わかった」

「ほかの荷物とお母さんも連れてくる。この荷物見ててね」

S姉さんの家は、我が家の前の路地をさらに70mほど奥に進んだところにある。次に夫が姑を連れて帰ってきたときには、もうS姉さんちの横の空き地にあるミズレンブの木の大ぶりの枝が鉈を手にした男性達にバッサバッサと切り落とされていた。

眼を見張るスピードでテントができた。隣前後に全部で三つ作った。これを近隣の十数世帯で共有する。

*

「自家発電機、買いに行くから」

夫が声をかけてきた。

「え、今から?」

「うん。テントで使うし」

「いいけど、店開いてるの? 今日祝日だよ。確認したほうがいい」

「あ、そっか」

電話でマタラム市内に住む日本人の方に相談したら、今開いているお店を教えていただけた。

甥でボーイスカウトに入っているロジが軽トラを手配して運転する。ロジの弟ですでに自家発電機を持っているルットと夫、私、娘の5人で一路マタラムへ。

いくつか店を回って、大型のホームセンターでルットと店員の話を聞きながら一台購入した。ロンボク島にこんな大きなホームセンターができていたのかぁ。開店から1年以上経つらしいが、全く知らなかった。我が村では全く見ないし需要もないであろう煌びやかな商品が並んでいる。時々は都市部へ出るのもいいなぁ。しかし、さすがに大きな地震の後だったので、店の上から吊るしてあるガラスで装飾された照明器具の類をみて、これが落ちたら大変やでとも思った。

帰りに、開いているお店を教えてくれた方がカレーライスを作ってくださり、食べに行った。地震以来初めてのお肉ぅぅぅと言うと、たくさんお肉をのせてくださった。お腹いっぱい!ありがとうございました!

ルットとロジもそれぞれの知り合いから支援物資を受け取り、軽トラに積み込んで、私たちも荷台に乗って帰路へ。

娘も大喜びで意気揚々と荷台に乗ったのに、日は傾きかけ、途中の山中でいよいよ日が落ちて寒くなってきた。

私たちは皆、半袖のTシャツ着ていたが限界に近かった。

「さっきさ、ロジが受け取った支援物資の中に毛布があったよね?」

私が言うと、「それ使っちゃおうぜ」「いやでも支援物資だしな」と迷いに迷った。しかし、寒いんである。背に腹はかえられぬ。

「この箱だよ」と車を走らせたまま、箱を取り出す。

避難地キャンプ生活で得たトリビア技術の一つは、鍵をカッターナイフがわりにして段ボール箱を開けられることだ。ルットがバイクの鍵で箱を開ける。毛布だと聞いていたが、中にはたくさんの白いバスタオルが入っていた。緑のラインが入っている。

「あ!!これ!!」

ルットと夫が顔を見合わせた。

それがなんだかわからず反応しない私に、ルットが教えてくれた。

「これ、メッカ巡礼者に配られるものだよ」

「えー」

「きっと今年の余剰分だね。俺らもメッカ巡礼者ー。イェーイ」

「イェーイ!」

「イェーイ!」

これくらいのテンションでいるしかないほど寒かったので、ありがたくメッカ巡礼者用のバスタオルに体を包んで帰ってきた。

*

早速、新しい避難地に自家発電機をセットする。

テントの脇に落ちているミズレンブの枝の切り口から若く爽やかな青リンゴのような香りがしている。みずみずしい香り。

今日から私たちの集落は、政府の避難勧告を無視して避難地を降り自分たちの村で過ごすのだ。小さな小さな独立記念日だなと思った。

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