ロンボク島地震/避難生活記録・9-12日目~必要最低限+アルファを求めて

シアーン(こんにちは)、みどりやで。

更新を待ってくださっている方、ありがとうございます。

牛歩更新ですが、毎日メモだけはしているのでメモを頼りにゆっくりでもしっかりお伝えします。

震災後二週間目の避難地の様子を書くよ。

●8月13-16日(月~木) ロンボク地震発生後9~12日後

めまぐるしい一週間だった。

簡単に避難地とその周辺の状況を箇条書きする。

・市場が再開する

・避難地に水をひく

・一時的に家に帰り、片付けなどを始める家庭が増える

・青空教室は自然消滅する

・アルクルアン(コーラン)などが届く

北ロンボク県最大の都市Tanjung (タンジュン)より1~2日遅れて、私の住むPemenang(プムナン)の市場も再開された。

建物が崩壊する恐れのあるため、まだ市場の中には入れない。市場前での露店販売のみだが、新鮮な野菜や魚、果物が並ぶのを見るのは嬉しい。何より、街の経済が循環し活気が出て良い。娘は大好物のトマトや数種類の果物を食べられてニッコニコ(^^)

魚はロンボク島の中心都市マタラムから来ているとのこと。マタラムは市場も生活もそろそろ通常運転になっているのだろうか。

地震発生9日目の月曜日には、避難地で水が使えるようになった。

避難地で使う水(主に食器を洗う水)は、これまで避難地になっている丘を下りなければ手に入らなかった。丘を下り、男性たちが作ってくれた橋を渡って一番近くの家の井戸から水をバケツに溜め、避難地まで運ぶ。お祈りの際のお清め、お手洗い、洗濯、シャワーなどはみな避難地を下って適当な井戸を使わせてもらっていた。いずれにせよ、大変な労力を伴う。

そこで、自家発電機と長いホースを使って避難地で水を使える仕組みを作った。

私の拙い絵が少しでも足しになれば良いのだが、以下ような仕組みだ。

1、避難地で夜に使用していた村の自家発電機を丘の下の井戸まで移動させる(絵に描き忘れているが井戸の脇にある蛇口に設置)

2、自家発電機と井戸水を汲み上げる電気ポンプとをつなぐ

3、井戸の組み上げ水が出る蛇口にホースをつける

4、ふだんは停電時に使用している貯水タンクとさきほどのホースを避難地に運び上げる

5、このタンクにホースを通じて水を入れ、タンクにある蛇口をひねれば水が使える!

自家発電機の移動も貯水タンクの運搬も大人数人がかりの作業だったが、とても価値のある労働だった。

しかし、光もあれば影もあるのが世の常。自家発電機の移動により、私たちは電気を失うことになった。一番困るのは携帯電話の充電ができないことだ。このご時世、地震でも数日、場合によっては数時間もすれば電波が復旧し、話せるようになる。インドネシアのdocomo的存在のTelecomselは震災後一週間の被災地での通話を無料にした。 それくらい携帯でのやりとりは必要なのに充電できないのでは話にならぬ。私たちは村で自家発電機を持っている人に頼んで、その人の家から自家発電機を借りることにした。これで電気問題もクリアだ。やったー!

水も電気も十分にあるわけではなかったが、炊事のほか、小さな子どもたちや高齢者は竹橋を渡らなくても行水やお祈り前のお清めができるようになったし、携帯電話やスマホの充電により様々な連絡のほかちょっとした娯楽(アプリのゲームなど)も楽しめるようになった。

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少しずつ避難地の生活が整ってきたため、自分たちの家に帰って片付けをする者も出てきた。また同時に政府が介入しての建物の解体撤去作業がはじまり、家主達は軍隊と協働することもあった。

↓我が家の様子。これを自分たちでどうにかしないといけない

私たちの集落は北ロンボク県の県庁所在地とロンボク最大の都市マタラムを結ぶ幹線道路の東に位置しており、幹線道路沿いの建物は一軒一軒「壊すか残すか」の選択を迫られた。壊す家には「解体」のステッカーが貼られ、重機を使用して取り壊すこととなった。それまでに家財道具の一切を家の外に出さねばならない。

インドネシア政府は全壊した家に5千万ルピア、半壊した家に2.5千万ルピアを出すと言ったそうだけど、こちらの村には銀行口座を持っていない人もいるし、もっていても銀行が倒壊して使えなくなっているのに、いつどうやって手にできるのか?と考えるとしばらく当てになりそうにない。そもそも5千万ルピアじゃ小さな台所とお風呂場が作れるくらいだろう。5千万ルピアは大きなお金ではあるのだけど(月収が100万ルピア前後という人もたくさんいる)。

「これからどうやって生活すればいいんだろうねぇ」

親戚の姉さんがボソリとつぶやいた。

一生懸命働いて一つずつブロックを積み重ねて作った家に、自ら解体の決断を下さねばならない。どんな気持ちがするか、想像するだけでも辛い。姉さんの背中をさすりながら横に立っていることしかできなかった。

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こんなふうに日中は避難地を離れて集落に戻る家庭が増えてきたため、青空学級も自然消滅となった。普段は子どもを幼稚園や小学校に通わせている家庭でも家族で離れたくない意識がより高まり、家で片付けや洗濯をするときは必ず子どもも一緒に連れて行った。まだ余震もある中で、もしも大きな余震があったときに親子が離れていたら…と考えるとそうするのは自然なことだと思う。なので、青空学級の消滅はやむなしとして、しばらく様子を見ることにした。

そのかわりではないが、夜のイスラム学習が始まった。イスラム教では、お祈りにしろ聖典コーランを読むにしろ、アラビア語が使用される。なので、イスラム教徒の子ども達は幼稚園に入るあたりからアラビア語の読み方を学ぶ。学習本はIQRO(イクロ)と呼ばれ、全6冊で数字が大きくなるほどレベルがあがる。IQRO6が終わるといよいよアルクルアン(コーラン)の読み方の学習へとコマを進める。教えるのは有志の方で、寺小屋のように家庭に生徒を招いて教える。月曜日にイクロとコーランが支援物資として届き、子どもも大人もたいそう喜んでいた。

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以上、地震後二週目は、地震直後のとにかく生きていくための一週間が終わり、少しずつ日常らしさを取り戻すようになった。支援物資もとにかく水!米!テント!毛布!から学習ノートや古着などに変化してきた。

それは同時に現実が見えてくるということでもある。疲れているのに、これから正念場がやってくる。一度しっかり疲れをとったり、悲しみを悲しみとして受け止めたりする時間が必要ではないかと感じている。

みどり

●寄付金&支援状況● 8/26現在

Polcaを使用して被災地への支援金を募っています。

1回目 目標額10万円  300%の30万円達成 ありがとうございます

2回目 目標額10万円 300%の30万円達成 ありがとうございます

3回目 目標額10万円

個人口座への振込 68万円 ありがとうございます

※ポルカの支援金の2回目分までを振り込み申請いたしました。週明け28日に日本の口座へと振り込まれる予定です。家族に頼んで海外送金をしてもらい、その後からいよいよみなさんのご支援金を使用した支援へと移っていきます。

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