ロンボク島地震/避難生活記録・5日目〜避難下で結婚式があったよ

パギー(おはよう)、みどりやで。

8月9日(木) ロンボク地震発生後5日目

「8月9日にギリメノ*で結婚式と披露宴を、12日の日曜日に村で結婚パレードをするよ。みどりも来てね」

*ギリメノ=メノ島、ロンボク島から公共のボートで30分弱のサンゴの浅瀬が美しい離島。

義姉が次女の結婚を教えてくれたのは、8月4日だった。

「わあ、行くよ行くよ、おめでとう」と言った翌日、地震に遭った。

避難生活をしていたので、申し訳ないけれどすっかり結婚式のことは忘れていた。

7日(火)に村のおばあさんが子どもたちに「もうすぐ結婚式が見られるよ」と言っているを聞いたときも、うわ言だと思っていた。

ところが、やはり結婚へと向かうエネルギーとはどんな壁でも打ち砕くものなのか、予定通りに結婚式があった。会場は新郎の家のあるギリメノではなくロンボク本島の私たちのキャンプ地。

メノからはるばる来てくださった新郎側の親戚とを迎え、私たちはキャッサバ芋を揚げてもてなした。

いつも結婚式で提供されるお菓子の箱がある!!!

「これどうやって用意したの?」

「新郎側が用意したんだよ。地震の前から箱もお菓子も準備してあったんだ」

なるほど。

それを船に積んで持ってきたのか。

▼お菓子を分ける子どもたち

こちらではギリメノに嫁いでも月一くらいの頻度で里帰りしてくるのが普通なのだが、この状況ではいつ戻ってこれらるかわからない。

新婦が嫁入りに持っていったのは、救援物資からかき集められるだけ集めた生活用品タライ一個分と黒い小さなリュック一個にまとまる服だけだった。

おめでとう、元気で幸せにねと言いながら、みんなで泣いた。

*

その後、朝日新聞社の取材があり、同じタイミングで在デンパサール日本国総領事館から大橋首席領事もお見舞いに来てくださった。

領事より事前に、飲み水とクラッカーなど食料を持参するがほかに何か必要なものがあれば持っていくとお声掛けいただき、厚かましくも子どもたちが遊べるようにボールを2個お願いした。しかし、マタラム近辺のお店もすべて品薄になっているらしくボールは見つけられなかったとのことだった。力強い励ましのお言葉をかけていただいた。大橋首席領事、ありがとうございました。

*

領事がキャンプ地を後にされたあと、再び地震があった。

少しずつ余震の揺れに慣れてきていた頃にまたグラグラ揺れ、みなで肩を寄せ合った。震度4程度はあったと思う。

この地震のとき、私と娘はテントから5mほど離れた木陰で座り、親戚の子たちと花を摘んで遊んでいた。夫もテントの外で何かの修復作業をしていた。

姑がテントから出てきて、大声でプットリプットリと娘の名前を何度も呼んだ。私が「ここにいるよ」と答えるも聞こえず、他の人たちも木の下だと教えているのも耳に入っていないようだった。

最終手段として叔母が怒鳴りながら姑を娘の前まで引きずってきた。もう本当に目の前に娘がいるのに、姑は私に「プットリはどこ!!!!」と言う。何も聞こえないし何も見えていない。呪縛にでもかかっているかのような姑。姑に向かってポンポンと手を叩いてハッと我にかえるのを待つ。「お母さん、お母さん、聞こえてる?」 姑の目に色が戻って来るのを見てから「プットリはここにいるよ」とすぐ横にいる娘を指差す。そこまでやって、やっと姑は自分の孫の無事を確認できるのだ。

こんなことが余震のたびに何度も起こっている。

名前を呼んではいるけれど、探しているというより、反射的な発狂に近い。私も夫も周りのみんなもいい加減にしてくれと思う一方、よほどトラウマなのだということも痛いほどにわかる。みんなのいろいろな気持ちのやり場が必要だなぁ。姑ほどでなくても、余震のたびに泣く小学生もいる。領事にもお伝えしたが、物資のほかにこうした心のケアも必要だと強く感じている。

*

昼から夕方にかけて、村の男性陣たち総出でテントを作り直した。

前回のテントは低くてかなり腰をかがめないといけなかった。しかし、昨日マタラムから届いた物資のなかに米袋につかうビニールシートのような布?(日本語分からず)が1ロールあった。支柱の竹を長くし、このシートを壁にして、背の高くて壁のあるテントができた。

壁は日本のようにプライベート空間確保の観点からではなく、単純に未明の寒さから身を守るためだ。

インドネシアは暑い国だと思うかもしれないが、日中に強い日差しが降り注ぎ(気温は30〜34度程度)、明け方は23度くらいに落ち込む。体感的にはうんと寒く感じる。私もフリースの長袖パーカーをきて寝ているし、皆も長袖をきて薄い布をサナギのようにグルグルに巻いて寝ている。

この壁パワーのおかげで、昨晩はいつもより寒さを感じることなく寝られた。

私は今日は取材と余震騒動の疲れで長い午睡タイムをとった。娘の面倒は夫の従兄弟たちが見てくれた。そして、夕方、娘と叔母に誘われて被災後はじめてマンディをした。マンディする場所はもともとあったが、その時間も取れず、まだ余震のある中で裸になるのも怖かった。久しぶりにマンディをしてとてもスッキリした。替えの服がないので同じ服を着るしかなく「マンディしても服が汚いよねー」と叔母と笑った。

キャンプ地の女性たちが、我が子のためではなく自分のために今一番ほしいものはブラジャーなのだった。子ども優先で誰も言わないけどね。

私は救援物資の要請や寄付金を集めていることもあり、同じキャンプ地にいる村の人々に必要なものを聞き取っているのだが、あれがほしいこれがほしいと話をするだけでもガス抜きになるのかなぁと思う。車!バイク!家!ワハハハハ!とカラリと明るい南国ジョークで笑い合っていると元気になる。

夜はみんなと一緒にお祈りをした。

明日も元気に過ごせますように。

最後にもう一度、ロビ&リヤ、結婚おめでとう。

みどり

●寄付金状況●

Polcaを使用して被災地への支援金を募っています。

1回目 目標額10万円  300%の30万円達成 ありがとうございます

2回目 目標額10万円 300%の30万円達成 ありがとうございます

▼3回目 目標額10万円 はじめました▼
https://polca.jp/projects/UgYHSa4akCE

個人口座への振込 33万円 ありがとうございます

※数字はおおまかです。細かい数字や日付は後ほど通信状況が落ち着いてから確認し修正します

※村長をはじめ村の有志に声かけして寄付金を必要なところに使えるようヤヤサン(財団)を作る方向で動いています。さまざまな書類が必要なのでお時間はいただきますが、追ってご報告させていただきます。

スポンサーリンク
レクタングル広告大