娘と牛の屠殺解体を見た話ー家畜を食べるということー

マラーム(こんばんは)、みどりやで。

以前、結婚式準備の記事を書いた。

その中で、「いやぁ、すっごいなぁ!」と思った出来事があった。

男性陣が牛を屠ったのを見たのだ。

犠牲祭の日に牛を屠ることはあるし、結婚式でも牛肉料理は必ず出てくる。が、結婚式の準備で主催者側親族(新郎のほう)自らが牛を屠るのは、私もこちらに嫁いで丸6年で初めてみた。

手伝いの邪魔になるのでカメラを持っていなかったのが本当に悔やまれる。いや、カメラを持っていっても牛にレンズを向けることができたかどうか…。

今日はその日の出来事を中心に書くが、出来事や感想は結婚式の記事作成時にほぼ書き上げている。興奮して記事が長くなったため別記事にしようと下書きにいれたまま、推敲の手間をとらなかった。

その日の体感温度を閉じ込めておきたくて、今回はザッと誤字脱字をみる程度の推敲にした。また、わからなかった部分を村の目上の人々に聞いて補足として加えた。

(▼結婚式会場の裏にある原っぱ。気持ちいい)

ロンボク島の村での結婚式は、新郎側の家で近所の方々や親戚たちが集い、数日がかりで準備しながら手作りで行われる。

その日は、夫の従姉妹の息子の結婚式準備3日目。

私は室内でのお菓子の箱詰めがひと段落ついて、次は料理の準備を手伝おうかと外へ出た。

外で親戚たちと遊ばせていた娘が楽しそうにしているのを確認。よかったよかった。

料理もあとは煮込むだけで落ち着いているようだ。

ぼおっとあたりを見渡していると、男の人たちが女性陣が料理をしている向こう側に集団でいるのが見えた。

十名程度の彼らは何かをしているようではなかったが、やや真剣な表情で話し合っていた。

何してるのかなぁと注意を向けていたところ、上下イスラム教の白い服を来た男性がその後ろにお花をお盆に乗せた男性を従えて、やって来た。

これは何かの儀式だなと一目でわかった。

何をするんだろう。

白い服をきた男性が集団たちのところへ入っていき、集団の塊が割れたとき、男性たちが囲んでいたものが見えた。

足元に、手足を一つに縛られ、丸太の上に首を置かれた牛がいた。

全く暴れないし、声も出していない。

あ!と何が起こるのかがわかったときには、子どもたちも牛の周りに近寄っていた。

お盆を持った男性が白い服の男性にお盆を手渡した。

彼は牛に近づき、牛の首元に水か何かを手でふりかける。花びらも舞っているように見えた。

お盆を傍にいた男性に渡し、かわりに刃物を受け取った。

側にいた男性たちが牛の縛られている脚を押さえるために、腰をかがめて体重を乗せた。

白い服の男性が呪文(お祈りの言葉)を捧げ、スッと一太刀入れる。

その瞬間、牛の低い鳴き声とともにプシャーッとホースから出てくる水のように勢いよく血が噴き出した。牛を押さえていた男性数人は腕やTシャツに血をかぶった。

牛が抵抗して立ち上った土埃と血と人々の体温と牛の体温。

血しぶきに対してワッと声が上がったはずだが、温度の中にかき消されていったのか、私の耳の記憶にほとんど音が残っていない。

首の向きを変え血が出るほうを下にして、あらかじめ掘っておいた穴に血を溜めていく。

牛が息をひきとったので男性たちが抱えて移動させ、血の入った穴にはふかふかの土をかぶせた。この血もまた何かの養分になるのだろう。

土の上にバナナの葉を敷いて、その上に牛を横たえる。

首にはバナナの葉があてがわれ、切り口はもう見えない。牛に対する情けなのかなぁ。なんだか東洋的なもののような気がする(といっても、西洋で牛を屠る現場を見たことはないので比較できないが)。

子どもたちが恐々と、でも興味深く前のほうへ進み出て牛を見ている。

娘も隣の男の子と「いっぱい血が出たねぇ」と興奮気味に話していた。別の男の子が「牛の目が緑色だ!」と大きな声を上げた。みんなどれどれと目を見る。わずかに開いた牛の目はたしかに深い緑色だった。

その間も男たちは牛の解体を進め、ものの数分で皮を剥ぎ、骨を断ち、調理のできる状態にした。

▼翌日の結婚式で左上の料理になって登場

*

ロンボク島の北部にバヤンという地域がある。そこにはロンボクで一番古いモスクがある。そのことが示すようにそこは昔王族のいた地域であり、ロンボク島の自然崇拝的な信仰、バリヒンズー教、そしてイスラム教の混ざった信仰および慣習をもっている。

バヤンの特に限られたエリア(王族の末裔たちが暮らすところ)では、結婚するときは新郎が新婦の家庭に数頭の水牛を送り、そのうちのいくつかは料理として饗されるらしい。バリヒンズーが混じっているので牛はNGなのだ。

しかし、私たちの地域では、結婚式のときに牛肉を料理として饗すことはあれど、たいていお肉屋さんに頼んですでに用意してもらったお肉を買うことがほとんどだった。

「どうして姉さんのところ、大変なのにわざわざ牛を屠ったのかな? 高いですよね?」

「今回のは 9ジュタ(日本円で11.5万円くらい)だって」

「わあ、やっぱり! 牛肉を買うのと違うんですか?」

「ああ、あれはケッカーだよ」

「ケッカー?」

こういうことだ。

ケッカーとは現地ササック民族の言葉で、おそらくはインドネシア語のakikah/aqiqahに対応する語だと思われる。

Akikahはイスラム教の行事の一つ。インドネシアのジャワなどでは赤ちゃんが生まれて7日後に健康を祈って行われおり、やはり牛や山羊などを捧げるそうだ。

ロンボク島では生後7日のお祝いといえば断髪と命名だけどなあ。家畜を捧げたりしたっけ?と疑問が渦巻く。

「そうね、ケッカーは生後7日後もタイミングとしてはありだけど、死ぬまでならいつでもいいんだよ。なんだったらその人が亡くなってから行ってもいいんだよ」と私に周りの人々は言う。

ん? ケッカーというのは牛や山羊を捧げることを指すのかしら? ますますわからない。しかも、健康を祈るのに亡くなってからでもいいっておかしくない?

「ここでは健康をお祈りするものじゃないよ。ケッカーは何かの(だいたいはおめでたい)タイミングで牛や山羊を捧げ、そのときに家族など4人の名前を唱えることができる。その4人は終末を迎えたときに天国へ行けると信じられているんだよ」

「なるほど! だから買ってきたものじゃなくて、わざわざ屠ったんですね」

「そう。みどりもケッカーしたの?」

「え?私? や、まだ…かな?」

自分のことだが自信がない。

こちらでは、私がそのことの意味が飲み込めていないうちにいろんなことが終わっていたり、まだだったりするからだ。

「山羊や牛を神に捧げ、4人の名前を唱えたことがある?」

「ない。………たぶん」

「じゃあ、いつかするといいわよ」

どうやら私もケッカーが行えるらしい。

*

ロンボク島のケッカーは、ここの風土や土着信仰・文化などと結びついて、本式?のイスラム教のakikahの祝い方とは異なるのかもしれない。

でも、そんなことどうだっていい。

ここの人々が、お祝いのときに4人の名前を唱えながら牛や山羊を犠牲にすれば天国へ行けると信じて、実行し、それで安穏に暮らせるのなら。

「いやいや、そのために殺される牛の気持ちにもなってみなよ。天国へ行きたい、気持ちを落ち着かせたいというただの人間のエゴでしょ」という意見もあるだろう。動物を屠殺していただくことに関しては、私も考えることがままある。でも、まだ自分なりの答えが持てていないので、ぜひ様々なご意見を聞かせてほしい。記事にしたいと思う。

ただ、ロンボクの人々の考えを私の理解しうる範囲で述べておくと、私は、彼らが牛を殺して「かわいそう」と言っているのを聞いたことがない。

犠牲祭をはじめとした祝祭の日に家畜を屠るが、姑などはいつもこう言う。

「無事にこの日を迎えられました。鶏をいただくことができました。ああ神様、ありがとうございます。感謝いたします」

人も家畜も神によって創造され、人は家畜を(正式な方法にのっとって屠れば)食べることを許されている。許されているとはいえ、こうして食べられるのは神のおかげー。

つまり、彼らが考えているのは牛の気持ちではなくて神の意図だ。そして、牛や自分自身への懺悔ではなく神への感謝とともに食べている。

そんな彼らに「牛の気持ちを考えろ、牛の身にもなれ」と言うのは、神より牛を重んじろと言っているようなものではなかろうか。

私は先述のとおり、動物を殺して食べるということへの是非や自分の考えが固まっていない。だけど、ロンボクの人々を見ていて、非常に自然なことなのではないのかなと思うようになった。

今回の牛の屠殺解体も一部始終を目の前で見たわけだけど、何も嫌悪感や罪悪感のようなものが湧いてこなかった。人が神から与えられたものをありがたく受け取って、自然のつぶの一つになって循環させているだけのように感じた。

そして、娘が小さいときからこの自然の循環のなかに当たり前のようにいるのを見ていられるのは幸せだなと思った。

牛が何を思ったのかはわからない。

牛を殺して食べるのは人間のエゴかもしれない。

でも、自然なことだなと感じた気持ちも嘘ではない。

みどり

▼インド、エジプト、モンゴル、日本など世界をまわって各地の屠畜について調査・スケッチした本。バリ島の豚の丸焼きも。インドネシアに来る前に読んでいるので再読したいなぁ。

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コメント

  1. Ochity より:

    29日の地震。ロンボク島では死傷者を含め随分と被害が出たようですが、みどりさんとご家族は大丈夫でしたでしょうか?
    日本もいろいろな災害に見舞われていますが、ロンボク島においても早い復興がなされること祈念しております。何かできることはあるでしょうか?

    • midori.r.safitri より:

      こんにちは。コメントとお心遣いをありがとうございます。
      はい、我が家は少しヒビがいきましたが、私も家族も無事でした。

      そうですね。ロンボクの地震もですが日本も酷暑に水害、地震など続いていますね。起こってしまったことはなるべく早く立て直して、次の予防や教訓に繋げられればいいですよね。

      できることを考えてくださり、ありがとうございます。一番嬉しいのは、安全になってからロンボク島に遊びにきていただいて、地元のご飯を食べてリンジャニ山あたりのトレッキングをしていただくことです。今回の被害が大きかったところはリンジャニ山の登山口となる街でほとんどの方が農家またはガイド・ポーターなどで生計を立てています。再びロンボクに旅行客にきていただき、活気が戻ることが一番の希望になると思います。